産業遺産へGO! 過去のきらめきに触れたい

日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

秋葉原貨物駅への水路跡「秋葉原公園」

 山手線が現在のような環状運転を開始するのは、関東大震災後の大正14年だが、最後までつながらなかったのが上野-神田間であった。この区間は、江戸時代からの家屋密集地帯で工事が後回しになったからである。もっとも、秋葉原には明治23年に貨物駅が設置されて、上野から貨物線が地上に敷設されていたが、線路が市街を分断するため不評だったという。結局この区間は、道路交通に支障のない連続高架橋でむすぶこととなり山手線は、ぐるりとつながった。秋葉原の貨物駅は、その後も存続し、昭和50年に貨物の取り扱いをやめている。

かつて、駅や港を拠点とした集荷・配達などの末端輸送を「小運送(こうんそう)」と呼んでいたが、小運送では、自動車や荷車などによる道路輸送ばかりでなく、当時都市内に張り巡らされていた河川や運河(掘割)を利用した舟運も活用されていた。貨物駅は舟運の便を考慮して設置され、東京でも汐留、隅田川、飯田町、両国、小名木川などの貨物駅には川から水路が引き込まれて船溜りが設けられていた。

秋葉原では、神田川から秋葉原貨物駅構内へ水路が引き込まれていた。駅の南側にある秋葉原公園はその跡地で、新しいステンレスの案内看板にそのことが記されている。以前は、公園は道路より低くなっており石積みの護岸が両サイドに露出していて往時を偲ぶことができたのだが、平成26年バリアフリー工事により埋められてしまい護岸の頂部が見えるだけになっている。バリアフリーも大事だが、これも貴重な史跡なので、極力往時の姿を残してほしかったと、行くたびに思うのである。        (N生)

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現在の秋葉原公園 護岸の頂部がかろうじて確認できる

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2008年のほぼ同じ場所 護岸がよくわかる