産業遺産へGO! 過去のきらめきに触れたい

日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

「キューポラのある街」の歌と悲劇

▽「手のひらの歌」の作曲家が上野台団地に。

 マダムBBです。前回、私が住んでいた埼玉県ふじみ野市の上野台団地のことを書きましたが、その後、映画「キューポラのある街」に関するブログが載ったので、思い出したことがあります。

 この映画の中では、唱歌などたくさんの歌が歌われていて、一種のミュージカルともいえるかと思います。あまりそういう指摘はなされてこなかったようですが。

 その歌の中で、この映画のテーマソング的な挿入歌が「手のひらの歌」です。映画の中で吉永小百合(主人公、ジュン役)も歌っています。60代後半以降の皆さんなら、歌声喫茶できっと歌ったことがあるはずです。

<歌詞を紹介します>


苦しい時には見つめてみよう
仕事に疲れた手のひらを
一人だけが苦しいんじゃない
みんなみんな苦しんでる
   ■話してみようよ 語り合おうよ
   ■積もり積もった胸のうちを

悲しい時には見つめてみよう
ひどく荒れてる手のひらを
一人だけで泣くんじゃない
じっとじっと我慢しろ
   ■話してみようよ 語り合おうよ
   ■積もり積もった胸のうちを

みんなで笑いあって見つめてみよう
汗に塗れた手のひらを
一人いては何にもできぬ
みんなみんな手を結べ
   ■話してみようよ 語り合おうよ
   ■積もり積もった胸のうちを

 曲はユーチューブで聴くことができます。“青春労働歌“という感じでしょうか。

手のひらのうた 【あづみ野うたごえ喫茶】 - YouTube

 下の写真は、映画の中で女子従業員たちが合唱しているところです。ロケは日立製作所の武蔵工場です。主人公ジュンはここで働くことになります。

 

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「手のひらの歌」を歌う女子従業員たち

  この歌を作曲したのは寺原伸夫(1928~98)で、彼はなんと、私と同じ上野台団地にいました。ポイント型住宅の1階でした。彼が作曲したこの歌が、映画「キューポラのある街」で使われたということで団地で話題になり、近所の人たちがたくさん映画を見に行きました。

 作詞は、伊黒昭文という人ですが、多分どなたもご存じないのではないでしょうか。寺原信夫の郷里、宮崎県の友人です。伊黒が胸を患い、地元宮崎の療養所に入っていた時に書いた詩を、作曲の勉強のため上京(昭和29年)した寺原の元に送り、それに寺原が曲を付けたのです。

 この寺原ですが、1963(昭和38)年に来日したソ連アラム・ハチャトリアン(「剣の舞」で有名ですね)に音楽家としての才能を認められ、モスクワ音楽院に留学します。

 上野台団地には妻と2人の子供が残されたのですが、留学が長くなり一向に帰国する気配がないので、心配した奥さんがソ連まで様子を見に行ったら、彼女がいてビックリ。奥さんは一人で帰国し、しばらくして2人の子供たちを連れて団地から出て行きました。その後、どうなったのかは分かりません。

 寺原は結局7年間もハチャトリアンの元で学び、帰国してからは名古屋の日本福祉大学助教授に就任したそうです。

 問題はさらに続きます。

 奥さんが育てることになった2人の子供のうち、娘の寺原麻里はホラー漫画家になります。図工の教師と結婚したことで姓が植松に変わるのですが、夫婦の間に生まれた子供、植松聖は2016年に相模原市の障害者施設事件(19人刺殺など)を引き起こした本人なのです。

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逮捕された植松聖(左)

 これ以上は書く気が起きません。以上です。          (了)