産業遺産へGO! 過去のきらめきに触れたい

日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

▽NHKのニュース番組で「昭和の型板ガラス」

 6月7日の夕方、NHK総合のニュース番組の中で、昭和の型板ガラスが人気“をやっていました。

 ネットで検索したら、以下の記事がありましたのでご紹介します。

 

2021/06/07  
NHK総合 【ニュース シブ5時】
<キニナル!>昭和の型板ガラスが人気!
                 ◇
■なるほど、型板ガラスも産業遺産なのですね。
 筆者もこれまであちらこちらで、昭和(多分、大正時代も)の型板ガラスを撮っていましたので、いくつかを紹介します。

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足尾銅山の窓ガラス

 キャプションにありますように、足尾銅山の某事務所の窓ガラス模様です。撮影可だが、その写真を公開してはいけないとのことでしたので、場所はヒミツです。

東京産業遺産学会(会員募集中です!。どなたでも歓迎です)の見学会で訪ねました。

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栃木県足利市の旧家の窓ガラス

 足利市に現存する歴史的味わいのある旧家の窓ガラスです。2016年に企画された足利市のアートイベントで訪問しました。霜をデザインしたようです。

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愛知県一宮市の窓ガラス

 織物で栄えた一宮市に残っているノコギリ屋根をウオッチング中に、目に入った花模様の窓ガラスです。住居兼作業場のような小ぶりの建物でした。

 

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川越市の織物市場

 埼玉県川越市に数年前まで残っていた川越織物市場の建物の窓ガラスです。このガラス模様はNHKの番組でも放映されていました。

 

 ざっと以上です。

 取り急ぎ、筆者のパソコンに入っていたデータから紹介しました。

                                  (O)



 

「高輪築堤」で会員が投稿

東京新聞に掲載されました!

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東京新聞に載った投稿記事

 東京産業遺産学会の会員、東海林次男さんが東京新聞に高輪築堤保存に関して投稿された5月17日付記事のコピーを添付しました。

                   ◆

<ご参考:JR東日本の決算>

 JR東日本の今年3月期決算は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う人の移動制限の影響をもろに受け、5,779億円の最終損失となりました。赤字決算は1987年の国鉄分割民営化後初めてです。

 高輪築堤保存に関しては、調査・保存費用などで1,672億円の特別損失を計上しました。

 コロナさえなければ、もっと保存エリアを広く確保できたはずとの見方もあるかと思いますが、筆者はそれよりも、調査・保存費用を「特別損失」に計上したことに疑問を感じます。

 会計処理上、通常の業務以外で生じた費用を特別損失として扱います。自然災害や有の有価証券の評価損などがその代表例ですが、必ずしも明確な基準があるわけではありません。「特損」は、どちらかといえば受け身、マイナスの響きがあります。

 JR東日本としては、高輪築堤を街づくりなどに貢献するものとして、前向きに評価する考えはなかったのでしょうか。古いモノはなんでもかんでも保存すべきとまでは思っていませんが、高輪築堤のような誰にでもその価値が分かる歴史的遺産をお邪魔虫的に冷たく見る経営姿勢は如何なもんでしょうか。一般の庶民感覚とずれていませんかねえ。

 このブログを書きながら、同社のホームページをつらつら見ているのですが、建前の向こう側に本音が透けて見えるようで…。              (O)

 

「キューポラのある街」の歌と悲劇

▽「手のひらの歌」の作曲家が上野台団地に。

 マダムBBです。前回、私が住んでいた埼玉県ふじみ野市の上野台団地のことを書きましたが、その後、映画「キューポラのある街」に関するブログが載ったので、思い出したことがあります。

 この映画の中では、唱歌などたくさんの歌が歌われていて、一種のミュージカルともいえるかと思います。あまりそういう指摘はなされてこなかったようですが。

 その歌の中で、この映画のテーマソング的な挿入歌が「手のひらの歌」です。映画の中で吉永小百合(主人公、ジュン役)も歌っています。60代後半以降の皆さんなら、歌声喫茶できっと歌ったことがあるはずです。

<歌詞を紹介します>


苦しい時には見つめてみよう
仕事に疲れた手のひらを
一人だけが苦しいんじゃない
みんなみんな苦しんでる
   ■話してみようよ 語り合おうよ
   ■積もり積もった胸のうちを

悲しい時には見つめてみよう
ひどく荒れてる手のひらを
一人だけで泣くんじゃない
じっとじっと我慢しろ
   ■話してみようよ 語り合おうよ
   ■積もり積もった胸のうちを

みんなで笑いあって見つめてみよう
汗に塗れた手のひらを
一人いては何にもできぬ
みんなみんな手を結べ
   ■話してみようよ 語り合おうよ
   ■積もり積もった胸のうちを

 曲はユーチューブで聴くことができます。“青春労働歌“という感じでしょうか。

手のひらのうた 【あづみ野うたごえ喫茶】 - YouTube

 下の写真は、映画の中で女子従業員たちが合唱しているところです。ロケは日立製作所の武蔵工場です。主人公ジュンはここで働くことになります。

 

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「手のひらの歌」を歌う女子従業員たち

  この歌を作曲したのは寺原伸夫(1928~98)で、彼はなんと、私と同じ上野台団地にいました。ポイント型住宅の1階でした。彼が作曲したこの歌が、映画「キューポラのある街」で使われたということで団地で話題になり、近所の人たちがたくさん映画を見に行きました。

 作詞は、伊黒昭文という人ですが、多分どなたもご存じないのではないでしょうか。寺原信夫の郷里、宮崎県の友人です。伊黒が胸を患い、地元宮崎の療養所に入っていた時に書いた詩を、作曲の勉強のため上京(昭和29年)した寺原の元に送り、それに寺原が曲を付けたのです。

 この寺原ですが、1963(昭和38)年に来日したソ連アラム・ハチャトリアン(「剣の舞」で有名ですね)に音楽家としての才能を認められ、モスクワ音楽院に留学します。

 上野台団地には妻と2人の子供が残されたのですが、留学が長くなり一向に帰国する気配がないので、心配した奥さんがソ連まで様子を見に行ったら、彼女がいてビックリ。奥さんは一人で帰国し、しばらくして2人の子供たちを連れて団地から出て行きました。その後、どうなったのかは分かりません。

 寺原は結局7年間もハチャトリアンの元で学び、帰国してからは名古屋の日本福祉大学助教授に就任したそうです。

 問題はさらに続きます。

 奥さんが育てることになった2人の子供のうち、娘の寺原麻里はホラー漫画家になります。図工の教師と結婚したことで姓が植松に変わるのですが、夫婦の間に生まれた子供、植松聖は2016年に相模原市の障害者施設事件(19人刺殺など)を引き起こした本人なのです。

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逮捕された植松聖(左)

 これ以上は書く気が起きません。以上です。          (了)

団地の話題に「キューポラのある街」?

キューポラあっての産業遺産の町・川口市

 東京産業遺産学会の会員から、赤羽台団地のブログ(書いたのはマダムBBさん)に関連し、以下のメールがブログ管理人宛てに届きましたのでご紹介します。管理人が編集して記します。

                  ■

 久しぶりに「キューポラのある街」の名前に接し、嬉しく思っています。マダムBBさん、有難うございます。

 この映画は日本を代表する女優、吉永小百合をスターにしただけでなく、映画のロケ地である鋳物の町、埼玉県川口市を全国に知らしめるきっかけにもなりました。

 

 

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映画「キューポラのある街」のタイトル画面

 小型鋳物を意味するキューポラ(キュポラとも)の名前は、JR川口駅前の再開発ビル「キュポ・ラ」に付けられるように、川口市のシンボルになりました。産業遺産が映画と結びついて記憶されるようになるなんて嬉しいですね。

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川口駅前の再開ビル「キュポ・ラ」(2018年撮影)

 

 

 同駅前の「キュポ・ラ広場」には、鋳物工の像も建っています。

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川口駅前の鋳物工の像(2018年撮影)

 

 マダムBBさんのブログに、浦山桐郎監督が吉永小百合を主人公に起用するのを当初嫌がったとありましたが、映画の中の吉永小百合が下です。ロケ地は荒川の土手です。

 

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映画「キューポラのある街」の中の吉永小百合

 かつて鋳物工場があったところは現在、ほとんどがマンションになりました。川口は東京への通勤に便利ですからね。映画のロケ地で主人公・ジュンの家と工場があったところもマンションになりました。

 

 

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(映画のロケ地は32階建て超高層マンショになり、その敷地内の公園にはロケ地だったことを記した案内板とともに、だるまストーブなど鋳物製品がいくつか置かれています)

  この超高層マンションは、川口駅から歩いて5~6分の所にある「リビオタワー川口ミドリノ」ですが、メールを送ってくれた会員Yさんによると、この32階建てマンションが完成した2006年に公園内を散策していて、犬を連れた50代の地元の男性とたまたま言葉を交わしたとのこと。

 その男性の父親は、キューポラのある街のロケ隊の世話をしたとのことで、このマンション近くに当時あったいくつかの小料理屋にロケ隊が分かれて寝泊まりし、そこでみんなで食事を取ったりしたのだが、男性の父親が吉永小百合がたまたまトイレに入っている時に側を通りかかり、薄い板の扉の向こう側から聞こえてきた“ある音“に感動、今でも大切な思い出としてしているのだとか。

 産業遺産は五感で感じ取るもの!ですね。

 以上、会員Yさんからのメールを整理して記しました。

                              (以上)Y

「高輪築堤」保存問題

▽JR東、「高輪築堤」一部保存を発表

 

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日本経済新聞の記事(2021.4.22付)

 上の記事は、品川・高輪エリアで見つかった日本で最初の鉄道の遺構「高輪築堤」に

ついて一部保存することを決めたとの日経新聞の記事(2021.4.22付)です。ちょっと遅くなりましたが、東京産業遺産学会でもこの遺構の保存をJR東日本に要望していただけに、お知らせします。

 

 高輪築堤については、東京新聞がいち早く報道しています。その内容も詳しいですので、グーグルなどで検索してみてください。「東京新聞」「高輪築堤」で出ます。

                            (K.O)

 

秋葉原貨物駅への水路跡「秋葉原公園」

 山手線が現在のような環状運転を開始するのは、関東大震災後の大正14年だが、最後までつながらなかったのが上野-神田間であった。この区間は、江戸時代からの家屋密集地帯で工事が後回しになったからである。もっとも、秋葉原には明治23年に貨物駅が設置されて、上野から貨物線が地上に敷設されていたが、線路が市街を分断するため不評だったという。結局この区間は、道路交通に支障のない連続高架橋でむすぶこととなり山手線は、ぐるりとつながった。秋葉原の貨物駅は、その後も存続し、昭和50年に貨物の取り扱いをやめている。

かつて、駅や港を拠点とした集荷・配達などの末端輸送を「小運送(こうんそう)」と呼んでいたが、小運送では、自動車や荷車などによる道路輸送ばかりでなく、当時都市内に張り巡らされていた河川や運河(掘割)を利用した舟運も活用されていた。貨物駅は舟運の便を考慮して設置され、東京でも汐留、隅田川、飯田町、両国、小名木川などの貨物駅には川から水路が引き込まれて船溜りが設けられていた。

秋葉原では、神田川から秋葉原貨物駅構内へ水路が引き込まれていた。駅の南側にある秋葉原公園はその跡地で、新しいステンレスの案内看板にそのことが記されている。以前は、公園は道路より低くなっており石積みの護岸が両サイドに露出していて往時を偲ぶことができたのだが、平成26年バリアフリー工事により埋められてしまい護岸の頂部が見えるだけになっている。バリアフリーも大事だが、これも貴重な史跡なので、極力往時の姿を残してほしかったと、行くたびに思うのである。        (N生)

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現在の秋葉原公園 護岸の頂部がかろうじて確認できる

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2008年のほぼ同じ場所 護岸がよくわかる

 

近所の団地が登録有形文化財!

文化財になった「赤羽台団地」(東京都北区)

 

 東京都北区に住んでいる東京産業遺産学会の会員(80代半ば)です。ブログデビューしました。これからもりもり書きますよ。愛称は“マダムBB“”す。覚えていてくださいね。

 私は北区中十条に住んでいるのですが、最寄りのJR駅、東十条の一つ隣りが赤羽で、そこにはかつてマンモス団地、赤羽台団地(旧日本住宅公団)がありました。現在、そのほとんどが取り壊され、新しいマンションに生まれ変わっていますが、一部まだ残されている当時の古い建物が、2019(令和元)年12月に登録有形文化財に登録されました。完成時、3300世帯を越える話題のマンモス団地だったのよ。

 団地が登録有形文化財とはねえ~

  当時、そのことはもちろん聞いていましたが、先日、家で資料整理をしていたら、ビラみたいな北区広報誌「北区ニュース」(2020.3.10発行)が出て来て、それに紹介されていましたので、思い出を記します。

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「北区ニュース」(2020.3.10)

 実は私、この団地に住もうと検討したこともあったのよ。それなりの稼ぎがあったんだけど、家賃が結構高くてね、断念したの。高くて当たり前よね、だって赤羽駅から東京駅までJRでわずか25分だもんね。逆方向、荒川を渡れば、そこはキューポラのある街「川口」なの。だって、埼玉県よ。

 映画『キューポラのある街』(浦山桐郎監督、吉永小百合主演)を見ると、当時の川口の様子がよく分かるわよね。この映画は1962(昭和37)年公開だから、赤羽台団地なんかと同じごろよ。吉永小百合の主演映画はたくさんあるけど、私はこれが一番好きよ。あなたはどう?

 先日、作家・関川夏央の本を読んでいたら、この映画について触れていて、監督の浦山桐郎は、吉永小百合の「山の手的な持ち味がこの映画にそぐわない」として起用に反対したのだけど、当時の日活は「世間知らずで素人っぽい、処女のにおいのする新人を意識的に起用してきた」んだって。

 話を戻すわよね。“マダムBBの話はすぐ脱線する!“”とみんなによく言われるの。でも、その方が楽しいわよね(…と、自己弁護でした)。

 

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登録有形文化財に指定された板状住棟「41号棟」

 上の写真は2019年8月に撮ったの。白い板で囲ってあるこの建物(41号棟)も解体されず、登録有形文化財になったのよ。

 箱を並べたような平板な棟(41号棟など)からY字型の棟までいろんなタイプがあり、実験的な団地でもあったのか、よく海外から視察団が来ていたらしいわ。

 で、我が家ですが、赤羽台を断念して埼玉県の団地にしたの。そっちの団地の方が古かったんですけど、文化財にはならなかったわ。

 

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赤羽台団地の案内図 (2019年撮影)

  赤羽台団地は、1962(昭和37)年から入居が始まりました。上の地図は2019年夏に撮影したんだけど、案内図のほぼ中央に「建設中」とあって白くなっている所があるでしょ、ここには現在、モダンなマンションが建っているのよ。マンションの名前? 忘れたわ、というか覚えられなかった。なんか難しいあちらの言葉だったわ。

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赤羽台団地のY字型住宅「スターハウス」

 で、我が家が選んだのが、現在の埼玉県ふじみ野市の「上野台団地」でした。(当時の写真は探しているところです)

 1960(昭和35)年に完成した日本住宅公団の上野台団地は、旧陸軍弾薬工場跡に整備されたもので、最寄り駅は東武東上線上福岡駅でした。家賃は確か月5,400円でした。

 

 当時の建物はもうすべて建替えられました。

 当時、この団地の周辺は畑ばかりで、風が吹くと土ぼこりが家の中まで入ってきて、掃除が大変だったわ。

 昭和30年代はご存じのように家電製品が相次いで登場したでしょ、冷蔵庫を置くスペースなんて元々考えて設計されていなくて、畳の上に置いていた家もあったわ。

 畳は団地サイズで、6畳といっても今の4畳半くらいしかなかった。つくりは安普請で、西日が当たると家の中の押し入れのふとんが膨らむ程壁が薄かったことを思い出したわね。

 「もはや戦後ではない」という言葉が1956(昭和31)年度の経済白書で使われ、話題になったけど、上野台団地は大体このころ基本設計が始まったはずよね。

 今でも古い団地を見ると、戦中、戦後の復興期のことをいろいろ思い出し、先のことを考えるわ。それが文化財、産業遺産を保存する意味なのかしらね。

 それにしても公団住宅文化財とはねえー。…昭和は遠くなりにけり、ですわ、ホントに。

                               (マダムBB)