産業遺産へGO! 過去のきらめきに触れたい

日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

YKKの町、富山県黒部へ ~干しカレイの町~

 ある会員の方から、富山にいるなら、黒部市にあるYKKの史料館に、日本機械遺産学会が認定した機械遺産「ファスナーチェーンマシン(YKK-CM6)」があるので、見てきたらどう、との連絡をいただき、先日、行ってきました。

 

 そこは「あいの風とやま鉄道」(元・JR北陸線)の生地(いくじ)駅から歩15分ほどの所にある「YKKセンターパーク」です。

 

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 「YKKセンターパーク」という広々とした敷地にあるこの建物は、1958(昭和33)年に建てられたファスナーの基布紡績工場でした。

 その工場が役割を終えた後、取り壊さずに資料館として再生しました。

 

 2010年に「BELCA賞ベストリフォーム部門賞」を受賞しています。歴史的建造物を改造して、後世に引き継いだことが高く評価されました。

 なお、横浜赤レンガ倉庫なども、この賞を受賞しています。

 

 さて、展示室ですが、写真撮影は禁止でした。機械遺産に認定されたそのファスナーも展示されていましたが、撮ることはできませんでした。

 

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 同社は、1994年に「YKK」と社名変更するまで「吉田工業」でした。創業者は故・吉田忠雄、PR施設があるこの場所は黒部市吉田という町名です。

 

 ファスナー事業で積極的に海外展開し、現在は72カ国・地域で事業をしています。

地味で保守的な県として知られる富山では珍しい““インターナショナル企業“です。展示説明は、英語が先で、日本語はその下にありました。なんともオシャレ!です。

 例えば、次のように。

 

「Longer Fiber Suits Zipper Yarn」の英文の下に「ファスナー用の糸には長い繊維が必要です」と。

 

「We Make All Dies Ourselves」「あらゆる金型を自社でつくる」といった感じで。

                 ◇

 ファスナーは1893年に米国で発明されたのですが、用途として最も厳しい条件が求められたジーンズ用で米国製品を凌駕するものを開発したことで、YKKはファスナーで世界1になるきっかけをつかんだそうです。

 

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 展示館の敷地の一角はビオトープになっていて、カエルの卵などが見えました。初夏になるとヘビも出るそうです。

 

 池を覗くと、クルミがいくつも落ちていました。

 クルミ黒部市ではごく普通に見られるそうです。果実が熟すると黒くなるので、

クルミのことを地元の方言で「くろべ」といい、その名が地名の黒部となったようです。

 センターパークから日本海に向け約1.5キロ歩くと黒部漁港に着きます。

 

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 漁港に隣接して魚の駅「生地(いくじ)」があります。海産物を扱う市場になっています。

 

 そこで見かけたのが「カレイのほっぺ」です。説明文を読んでみてください。

 

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 この黄色い説明紙の下の冷凍ケースにその「ほっぺ」はありました。確か6個入りのコブクロで650円程度でした。

 店内にはいろんなカレイが並び、私は、長さ30センチ弱のアカガレイの一夜干しを2匹買いました。帰宅して焼いて食べたのですが、うーん、なかなか美味でした。

 

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 上のアカカレイは結構大きい方です。

 

 海岸通りの魚店の店先にカレイが干してありました。黒いのは鳥よけです。

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 産業遺産に関心を持って旅に出ることと、「食」とは、密な関係にあると常々思っていますので敢え魚等を紹介しているのですが、ここ生地(いくじ)という所は、詩人の田中冬二の郷里でもあります。その詩は教科書にもよく載っています。

 

 その故郷である生地での詩「ふるさとにて」の中に、「ほしがれひをやくにほひがする」の句もあります。

 

 産業史に戻りますが、田中冬二の母方の祖母は安田善次郎の妹です。そういう血縁もあり、冬二は安田銀行(後の富士銀行)に就職します。

                      以上です。   (K.O)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◎旧碓氷線のアプトの道 ~廃レールも再活用~

 赤レンガ建築研究者、八木司郎氏による『日本赤煉瓦建造物番付<群馬県場所>』で、富岡製糸場と並んで横綱になった旧碓氷線の赤煉瓦構造物等について、東京産業考古学会(会長:八木司郎)では今年1月に、碓氷峠浪漫倶楽部の萩原豊彦理事長を講師としてお招きし、いろいろお話を伺いました。

 東京産業考古学会のHPです。→ http://tias3.web.fc2.com/

 

 JR軽井沢駅から横川駅までの旧碓氷線に沿って、新潟県で採れる石油を首都圏に運ぶためのパイプラインが敷設されていて、その遺構が現在でも部分的に残っている(非公開)とは初めて知りました。

 

 下の写真は、碓氷第三橋梁(通称「めがね橋」)です。旧碓氷線エリアで最も有名な場所です。横川駅から現地まで歩約1時間20分。 (2018年8月撮影)

 

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 萩原講師も講演で触れておられましたが、JRの「大人の休日倶楽部」のPR撮影が吉永小百合をモデルにここでなされました。写真に人影が写っていますが、その少し先あたりに吉永小百合が佇むというシーンでした。

 私が4年前に現地を訪れた時、橋の周辺の草刈りをしていた年配の作業員が、撮影目撃談をこう話してくれました。

 

 「別の女性モデルを橋の上に立たせて、カメラマンがしばらくテスト撮影をした後、トンネルの中から車に乗った吉永小百合がJRのスタッフらと現れ、そのモデルと交代、ほんの数分の感じだったなあ、カメラマンがシャッターを押したのは。撮影が終わったら彼女はその場から去った」と。

 

 (下の写真は2016年7月撮影)

 

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 碓氷線の跡は現在、遊歩道「アプトの道」となってます。

 

 下の写真は、アプトの道沿いに走る観光電車です。横川駅そばにある「碓氷峠鉄道文化むら」から旧丸山変電所の横を通って、峠の湯駅まで行きます。約3キロ。

(撮影:2018年8月)

 

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 碓氷線は急勾配だったため、登山鉄道などに使用するアプト式レールが使われました。スイスの技術者、ローマン・アプト(1850~1933)が開発しました。

(上の写真には写っていません)

 

 アプト式レールとは、通常のレールの間に歯車状の別のレールを敷き、機関車の下に取り付けた歯車(ラックギア)とかみ合わせることで、急勾配でも列車が滑らずに上り下りができるようにしたものです。

 

 下の写真は、不用となったアプト鉄道のレールを、側溝の蓋に転用したものです。

アプトの道近くで見かけました。

 

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 JR信越本線「横川駅」前の側溝にも使われています。(撮影2010年8月)

 

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 下の写真は信越本線磯部駅」のロータリーです。正面の建物は駅舎。

 

 同駅は横川駅と高崎駅の中間にあります。磯部温泉の最寄り駅です。

 磯部温泉は、情緒溢れる静かな温泉地です。静かさの中でゆっくりしたひとときを過ごしたい人向きです。

 市営の温泉施設「恵みの湯」が同駅から歩いて10分の所にあります。筆者は碓氷線の産業遺産見学の後、よく立ち寄りました。

                         (撮影:2019年1月)

                                

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                                  以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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        ◎赤煉瓦倉庫の中に入りました ~早稲田大学が保存プロジェクト~

  埼玉県本庄市にある旧本庄商業銀行倉庫は、赤煉瓦建造物としての番付は八木ブログによると、前頭筆頭(6)です。

 

 筆者はここにも何度か行きました。訪問目的は別にして、筆者が見に行った2016年から17年にかけて同倉庫は、建物内部の改修工事が行われていました。耐震補強工事も併せて実施されました。

 

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           (2016年8月撮影。右手は白壁の蔵)

 

 この赤レンガ倉庫は、JR高崎線本庄駅から歩いて約15分の所にあります。

 旧中山道に面し、シルクで繁栄した本庄市のシンボル的な建物となっています。

 

 この赤レンガ建造物ですが、ローヤル洋菓子店が保有していた2011(平成23)年に、本庄市が同店から取得しました。

 

 その後、本庄市の依頼を受けた早稲田大学理工学術院総合研究所のプロジェクトチームにより保存・活用策が示され、一連の工事が完了した2017(平成29)年4月から本庄市の交流施設として、一般公開されています。

 

(※早稲田大学の調査報告書は、本庄市のホームページに載っています。読みましたが、なかなか味わい深い内容といえるかと思います)

 

 なお、早稲田大学ですが、本庄市に大学や高校のキャンパスを設け、同大学の最寄りである上越新幹線の駅名が本庄早稲田駅であることからもわかるように、市は早稲田大学と密接な関係にあります。

 

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  (2016年に撮影した外壁)

 

 保存・改修工事を終えた同赤煉瓦倉庫の中に入ってみました。2017年4月でした。一階(下の写真)は、展示スペースです。

 

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 2階(下の写真)は多目的ホールになっています。

 

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 まあ、内部はこんな感じですね。

                 ◇

 

 ところで本庄ですが、絹で栄えた歴史ある町だけに、タウンウオッチングをすると、思わず足を止め、見入ってしまう建物や看板が目につきます。

 

 例えば下の写真にある元仕出し屋のように。

 地元の人にはごく平凡な風景だからでしょう、写真を撮っていると、不思議な眼で見られます。

 

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          (お寿司の弁当をやっていたお店跡)

 

 下はオシャレな建物、諸井家住宅です。埼玉県の文化財に指定されています。

 

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 ざっと、以上です。              (K.0)

 

           ◎深谷の日本煉瓦製造に行ってきました ~緑のガラス片~

          (解体の日本煉瓦製造の建物。2007年9月撮影)f:id:TIAS:20070909085105j:plain

 赤煉瓦番付八木ブログで埼玉県深谷市日本煉瓦製造の建造物が、埼玉県の番付で横綱とありますが、歴史的役割からみても当然でしょうね。納得です。

 私はこれまでに5回ほど現地に行きました。

 上の写真は同社が2006年に清算し、120年の歴史を閉じることを決めた翌年に

撮りました。正面に見えるのが同社のメーンの建物「旧事務所」です。八木ブログの「1-3」にある建物ですね。

 

 日本煉瓦の正面玄関を入った右手に、その旧事務所はあります。

 その正面玄関に赤煉瓦づくりの門柱があり、それは八木ブログの「1-3」の写真の中央に写っていますが、その門柱の上部に明かり窓があります。

 深いグリーンのガラスがはめ込まれています。

 

 私が訪ねた時、そのガラスの何枚かが経年劣化で落下、緑の破片が門柱下に散らばっていました。その1つを拾って、今でも大切に持っています。

 

 こうしたパーツも産業遺産だと思っています。過去を振り返り、さまざまなことに思いを寄せることができるからです。

 

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 正面を右手にまわると、赤煉瓦塀がずっと続いています。ここにも門柱に緑のガラスがはめ込まれていますね。

 

 コギーと散歩する女の子が通り過ぎました。

 

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 深谷といえばネギですが、畑の中の道を歩いていたらひょうたんがありました。

取りましたではなく、撮りました。

 

 この遊歩道はJR深谷駅に続く、かつての同社専用線の跡です。

 通る人が少ないこともあるからでしょうか、自転車に乗った人、散歩の人、皆さんすれ違う時、「おはよう」とニッコリ。

 深谷駅までの専用線跡遊歩道は約4.2キロです。

                  ◇

 さて、最後に1998年に、深谷市教育委員会が編集したパンフレット深谷の煉瓦物語」に載っていた深谷駅から遊歩道(専用線跡)、日本煉瓦製造とその周辺の地図をコピーし、参考までに添付しました。

 

 私はこの道を何度か歩いたのですが、ルートを外れると、あたりは同じような風景が連続する田んぼなので、道に迷ってしまいます。

 歩いて現地を訪ねる方はどうぞご注意下さい。

 

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           以上です。                 (K.O)

 ◎日本赤煉瓦建造物番付 埼玉県場所 令和二年一月

             《ベスト30》のうち1~10位

          勧進元 東京産業考古学会 行司 八木司郎

    《順位》 《所在地》    《 名 称 》

   横綱・・・・1.(深谷市)日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設

          ホフマン輪窯六号窯・変電室・旧事務所・備前渠鉄橋

   横綱・・・・2.(深谷市)誠之堂

   大関・・・・3.(県内各地)煉瓦造樋管・堰群

   関脇・・・・4.(長瀞町他)秩父鉄道荒川橋梁と煉瓦造橋梁群

   小結・・・・5.(入間市他)西武鉄道入間川橋梁と煉瓦造橋梁群

   前頭・・・・6.(本庄市)旧本庄商業銀行倉庫

   前頭・・・・7.(川口市)旧田中家住宅洋館・煉瓦塀

   前頭・・・・8.(熊谷市日本聖公会熊谷聖パウロ教会礼拝堂・門

   前頭・・・・9.(川越市日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂

   前頭・・・・10.(秩父市)旧武毛銀行本店

 

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1-1(1) 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設(深谷市上敷面字中島28番地2他)

 「ホフマン輪窯六号窯」(1997年5月29日 国定重要文化財に指定)の内部・・・・ドイツ人窯業技術者フリードリッヒ・ホフマン考案の大量生産用煉瓦焼成窯である。本窯は1907(明治40)年頃に建造され、1968(昭和43)年までの約60年間生産を続けた。全長56.5m、幅20m、高さ3.3mの総煉瓦構造である。内部には18の焼成室があり、各室に煉瓦の搬出入口、燃料の石炭投入口、排煙口が設置されている。この焼成室を窯火が巡りながら常時煉瓦を焼成することにより、月産65万個の煉瓦生産高を実現していた。(説明板:参照)

 

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1-1(2) 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 「ホフマン輪窯六号窯」(国指定重要文化財)の現況・・・・大天幕を展張し六号窯を改修中。創業当時、窯は地上3階の木造上屋に覆われ、2階は燃料投入室、3階は煉瓦乾燥室とされた。煙突も当初煉瓦構造だったが関東大震災により倒壊、現在の鉄筋コンクリート構造になった。今回の改修で3階の煉瓦乾燥室を再建するかどうか未確認である。

 

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1-2.日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設「旧変電室」(1997年5月29日 国指定重要文化財に指定)・・・・日露戦争後の好景気による建築・土木事業の拡大がもたらした煉瓦需要の増加に応対するため、会社は設備投資の一環として電力の導入を開始した。諸産業への電力利用の普及もあり、従来より使用していた蒸気式原動機の電動機への転換に踏み切ったのである。1906(明治39)年8月、高崎水力電気株式会社と契約を締結、電灯線を架設し、電動機を導入した。当時の深谷町に電灯が導入される1年前のことである。この建物だけが建造当時の外観をとどめている貴重な建物である。(説明板:参照)

 

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1-3.日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 「旧事務所」(1997年5月29日 国指定重要文化財に指定)・・・・日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量供給する民営工場として、渋沢栄一らが中心となって設立された。政府に招かれていた建築技師ウイルヘルム・ベックマン、チーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され、良質の原土を産出し、水運による東京への製品輸送が可能な現深谷市上敷免に決定された。建物は1888(明治21)年頃の建設で、煉瓦製造技術の指導に当たったチーゼ技師が住所兼事務所として使用し、娘クララと共に1889(明治22)年12月に帰国するまで生活した。その後は会社事務所として使用された。建物全周の基礎には煉瓦が用いられている。(説明板:参照)

 

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1-4.日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設「備前渠鉄橋」(1997年5月29日 国指定重要文化財に指定)・・・・操業当初からの輸送手段であった利根川舟運は安定した輸送力に欠け、燃料や製品の輸送に度々問題が発生した。これを解決するため建設されたのが鉄道専用線であり、1895(明治28)年、深谷駅との間で日本初の民間専用線として運用を開始した。専用線には4ヶ所の鉄橋があり、すべてに「ポーナル製プレート・ガーター橋」が採用された。本鉄橋は4ヶ所のうち、一番長い15.7mの橋桁が用いられている。橋台は両岸とも日本煉瓦製造株式会社の赤煉瓦が使用された。(説明板:参照)

 

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1-2(1).誠之堂(深谷市起会字唐言110番3)・・・・「誠之堂」(2003年5月30日 国指定重要文化財に指定)・・・・誠之堂は渋沢栄一喜寿を祝い、第一銀行の運動場及び保養施設の清和園に建設された記念堂である。1916(大正5)年3月に起工、同年11月12日に竣工開館した。設計は清水組技師長の田辺淳吉である。1998(平成10)年から1999年にかけて、大ばらし解体のうえ、現在地に移築復原された。

煉瓦造、平屋建、屋根は天然スレート葺き、建築面積113.30㎡。平面はヴェランダ付きの大広間を中心として、次の間、化粧所、玄関などの構成になる。誠之堂は、外観の基調を英国の田園趣味に基づいたものとし、多彩な煉瓦積技法と自在な意匠とにより、端整かつ雅趣ある建築作品に仕上がっている。

大正期の名建築デザイナーとされる田辺淳吉の代表作のひとつであり、大正建築の特質の一面である美術工芸運動的傾向を代表する作品として、重要である。(文化庁データーベース参照)

 

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1-2 (2).「誠之堂」(国指定重要文化財)・・・・暖炉の背後に接する北側外部壁面には、煉瓦による朝鮮風の装飾積みで「喜寿」の文字を表わしている。また、外壁にはあえて色ムラのある煉瓦を使用しリズミカルに配置することで、装飾性と変化を与えている。フランス積み。使用している煉瓦は日本煉瓦製造株式会社で焼かれたものであることが確認されている。(パンフレット参照)

 

 

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3-1. 煉瓦造樋管・堰群(県内各地)・・・・(通称)めがね橋「倉松落大口逆除」(くらまつおとしおおぐちさかよけ)(春日部市八町目地先)・・・・埼玉県内に数多い煉瓦造の樋管・堰の中で最古級であり、現存する樋管の中で最大級で、かつ4連はこれだけである。竣工は1891(明治24)年。現在は市道橋である。写真の正面が南側で、アーチ型の4連の煉瓦造の樋管で水面に円形が並んで眼鏡のように見えることから、この呼称がある。

この煉瓦造の樋管は、「倉松落大口逆除」が建設時の名称である。同樋管の前身である倉松落の門樋は1890(明治23)年8月の洪水で破壊された。このため1891(明治24)年3月に強固な煉瓦造の4連の樋管が完成した。本樋管の役割は排水先である大落古利根川の高水が、倉松落に逆流するのを防止するためである。(土木学会HP参照)

 

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3-2. 煉瓦造樋管・堰群(県内各地)・・・・「五笊田堰」(ござるたぜき)(久喜市北中曽根)・・・・この堰は備前堀川の中流部に設けられた農業用水の取水堰。清久工業団地の西端、NHKラジオ放送局と県道12号線の中間に位置する。五笊田堰は煉瓦造の堰としては埼玉県内で最大規模である。1908(明治41)年12月1日起工し、翌1909(明治42)年3月20日竣工している。総工費は7,030円、建設資材は地元負担、建設は県の直括工事。基礎杭は松丸太(長さ3間:5.5m、直径6寸:18cm)667本を打ち込み、杭頭の周囲に木材で枠を組み、中に砂利や栗石を敷詰めた後に突き固めて、その上に捨コンクリートを打設した。その後、使用煉瓦数は約48,000個(表積み16,000個、裏積み32,000)、イギリス積みで堰を造ったという記録が残っている。(埼玉県の煉瓦水門 HP参照) 

 

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3-3(1). 煉瓦造樋管・堰群(県内各地)・・・・「千貫樋」(せんがんぴ)(さいたま市桜区五関地内)・・・・1904(明治37)年6月竣工。煉瓦造の2連の樋管、面壁・翼壁の荷重を支持するため、基礎杭として生松丸太(長さ3間:5.5m、直径6寸:18cm)を158本打ち込み、その上に6寸(18cm)角の生松木を平面に縦横に組み土台にしている。生松材の土台にコンクリートが打設され、その上が樋管本体等の煉瓦積みとなる。

埼玉県内には明治・大正期に建設された煉瓦造樋管が39基現存し、そのうち頂部がアーチ状の樋管は21基現存し、4連樋管が1基(めがね橋)で、2連樋管は2基でその一つが「千貫樋」である。残る18基は単樋管である。(土木学会関東支部HP参照)

 

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3-3(2). 「千貫樋」(せんがんぴ)のアーチ部・・・天井部分は煉瓦の長手積み、入口のアーチリングは4巻。側壁はイギリス積み。1987(昭和62)年浦和市(現:さいたま市)は千貫樋周辺を整備し、「千貫樋水郷公園」にして下流から見て右側の樋管を遊歩道(通路の幅は2,4m、高さ1.8m、長さ14.3m)にして人の通行を可能にした。(土木学会関東支部HP参照)

 

 

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3-4.煉瓦造樋管・堰群(県内各地)・・・・「甚左衛門堰」(じんざえもんせき)(草加市神明2-145-1他)・・・・ 札場河岸公園内にある甚左衛門堰は、かって付近に広がっていた水田の用水量を調整するため、綾瀬川と伝右川の間に設けられた。野口甚左衛門により造られたので、甚左衛門堰という名で呼ばれている。1890(明治23)年の大洪水の後、県に改築のための補助を求め、その3年後に補助金が交付され、1894(明治27)年に3ヶ月かけて現在の煉瓦造りの甚左衛門堰が完成した。1983(昭和58)年まで、約90年間にわたり使用された。

甚左衛門堰には、横黒煉瓦が32,500個使用され、「オランダ積」あるいは「イギリス積」と呼ばれる技法で積まれている。甚左衛門堰は古いタイプの横黒煉瓦を使用していますが、建設年代から見てもこの種の煉瓦を使った最後期を代表する遺構です。また、デザインが美しいだけでなく、保存状態も極めて良く、農業土木技術史・窯業技術史上、貴重な建造物です。(草加市HP参照)  

 

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4(1).秩父鉄道荒川橋梁(左岸:秩父長瀞町長瀞、右岸:皆野町下田野)・・・・秩父鉄道上長瀞駅親鼻駅の間、上長瀞駅から徒歩約8分で荒川の左岸に着く。橋梁の形式は「ポーナル型プレートガーター橋」10連、全長約176m、煉瓦造橋脚・橋台。1914(大正3)年竣工。通称「親鼻鉄橋」。親鼻駅上長瀞駅は荒川橋梁の竣工と同時の開業だが、当時、上長瀞駅は国神駅と称し、1928(昭和3)年に上長瀞駅へ改名した。(鉄道橋HP参照)

 

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4(2).秩父鉄道荒川橋梁・・・・橋脚の高さは約20m。非常に高い橋脚が特徴である。荒川を横断するため、10連の橋桁と9基の橋脚が造られた。流水部分の6基の橋脚は煉瓦造の4段積みであった。すべての橋脚の最上段も煉瓦造であったが、その後の改修工事で最上段はコンクリートで補強され長方形になっている。橋脚の断面は舟形の楕円形で前後と側面の中央部分には石材が使用されている。両岸にある橋台も煉瓦造で、イギリス積みである。

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5(1). 西武鉄道入間川橋梁(入間市野田)・・・・西武鉄道池袋線元加治駅仏子駅の間に残る旧路線の鉄橋。竣工は1915(大正4)年。この地方は材木・木炭・砂利・織物などの商売が盛んであり、鉄道建設の機運が盛り上がっており、地元の資本家が出資して建設した鉄道が武蔵野鉄道西武鉄道の前身)であった。

形式は上路プレートガーター橋の6連、長さ約100m、5基の橋脚は2段重ねの煉瓦造、下部の断面は尖頭形で、上流側に石造の水切り形の尖頭隅石が積まれ、下流側は角部に隅石がある。下から2段目の煉瓦積みは長方形で、1段目と2段目の中間には石材を挟んでいる。(「元加治駅仏子駅間の廃鉄橋」HP参照)

 

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5(2).西武鉄道入間川橋梁・・・・入間川の左岸は河岸段丘で高く、右岸は盛り土の堤防であり、煉瓦造橋台の建設は困難であったと見られる。橋台の周りの側面は、河川の丸石をコンクリトに埋め込んで築いており、地元有志の発案した鉄道建設であったことをうかがわせる工事と見られる。写真は左岸の高い河岸段丘に造られた煉瓦造橋台。橋台の周りには入間川から採取した自然石の丸石をコンクリトで固めた側壁である。橋桁の高さも低く、人や荷車程度が通行できれば良いという時代だったようである。

 

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6(1).旧本庄商業銀行倉庫(本庄市銀座1-5-16)・・・・1997年6月12日、登録有形文化財(建造物)に登録。数年前までは「ローヤル洋菓子店」であったが、最近本庄市が購入し市が管理することになった。1894(明治27)年頃の竣工。煉瓦造2階建、瓦葺、建築面積279㎡。約31m×8.5mの内法の長方形平面の煉瓦造倉庫である。当時高価であった繭や生糸を担保として貯蔵するため、左右対称の位置に設けられた窓に、戸棚と鉄扉を設け、通風と防火に配慮している。現在では菓子店の店舗兼工場として活用され、広く親しまれている。(文化庁データベース参照)

 

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6(2).旧本庄商業銀行倉庫・・・・倉庫裏側から撮影、駐車場を設け、奥の別棟にトイレを新設し観光客を誘致するように配慮している。

 

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7(1).旧田中家住宅洋館(川口市末広1-7-2)・・・・2006年3月27日、登録有形文化財(建造物)に登録。1921(大正10)年竣工。煉瓦造3階建、瓦葺、建築面積186㎡。佐立七次郎の下で西洋建築を習得した櫻井忍夫が設計。煉瓦造3階建で、北側に蔵、南側に台所棟を配する。外部は暗紫色の化粧煉瓦と石材等で仕上げ、柱頭等を銅板装飾で飾る。内部は玄関帳場や2階座敷以外を洋風意匠でまとめる。大正期の本格的洋風住宅の好事例。(文化庁データーベース参照)

 

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7(2). 旧田中家住宅洋館・・・・正面本館の右側に2階建の煉瓦造蔵が建つ。すべて「焼き過ぎ煉瓦」(写真)を使用している。覆輪目地のイギリス積み。

 

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 7(3).旧田中家住宅煉瓦塀・・・・2006年3月27日 登録有形文化財(建造物)に登録。1921(大正10)年頃に竣工。煉瓦塀 煉瓦造延長52m。敷地西辺中央を鉄柵とし、北方、南方及び敷地南辺を煉瓦塀とし、鉄柵中央に鉄門を開く。北方煉瓦塀の2ヶ所、南方に1ヶ所の通用門を開き、北方の鉄門寄りの通用門にはアーチを架ける。洋館と同時期で、国道沿いの景観を整える。(文化庁データーベース参照)

 

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8(1).日本聖公会熊谷聖パウロ教会礼拝堂(熊谷市宮町1-139)・・・・2005年11月10日、登録有形文化財(建造物)に登録。1919(大正8)年竣工、煉瓦造平屋建、瓦葺、建築面積141㎡。焼き過ぎ煉瓦を効率的に用いた煉瓦造教会。イギリス積み。桁行約16m、梁行約7m規模の単廊式会堂で、東面北端に鐘塔を建ち上げ下部を玄関ポーチとし、外壁要所に尖塔アーチ窓とバットレスを配す。内部は煉瓦壁を顕わにし、木造シザーストラスを架ける。設計はW.ウィルソン。(文化庁データーベース参照)

 

 

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 8(2). 日本聖公会熊谷聖パウロ教会門・・・・2005年11月10日、登録有形文化財(建造物)に登録。1919(大正8)年竣工、煉瓦造、間口4.5m。鐘塔を兼ねた礼拝堂玄関ポーチに対応した位置に建つ。門の間口は内法で2.2m、東側に脇門を設ける。門柱は煉瓦造で、煉瓦長手2枚角、脇門柱は1枚半角とする。門柱根積部との境に柾立ての層を挟み、礼拝堂と合わせた積み方とするのが特徴。礼拝堂の門柱と表札。(文化庁データベース参照) 

 

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9(1). 日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂(川越市松江町2-4-13)・・・・2011年11月20日登録有形文化財(建造物)に登録。1921(大正10)年竣工、煉瓦造平屋建、スレート葺、建築面積138㎡、塔屋付。立教大学新築のため来日したW.ウィルソンの設計により建設。東西に細長い切妻造・平屋建で、外壁煉瓦造、内側は挟み組み式の小屋組を見せ、尖塔アーチの縦長窓や控壁にゴシック様式細部を備える。T字路の突き当たりに建ち、際だった景観を構成している。(文化庁データーベース参照)

 

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9(2). 日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂の石板の表札、キリスト教の煉瓦造教会の建築では煉瓦を縦積みで使用する例が多い。特に基礎部分には縦積みが見られる。

 

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10. 旧武毛銀行本店(秩父市下吉田3871-1)・・・・ 1997年12月12日、登録有形文化財(建造物)に登録。1918(大正7)年竣工、煉瓦造2階建、瓦葺、建築面積148㎡。秩父から上毛地方の顧客を対象にした銀行の本店社屋として建築されたもの。正面及び側面の全面を白タイル貼りとし、寄棟造、瓦葺の屋根をかける。小規模な建物ながら全体的に質も高く、幾何学文様を主体とした意匠は、近代建築への移行を示す好例である。(文化庁データーベース参照)現在は、吉田町立歴史民俗資料館になっている。

◎日本赤煉瓦建造物番付 埼玉県場所 令和二年一月

          《ベスト30》のうち11~20位

        勧進元東京産業考古学会 行司  八木司郎

    《順位》  《所在地》   《 名 称 》   

   前頭・・・・11.(深谷市)日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等

   前頭・・・・12.(本庄市)柴崎家店舗煉瓦造防火壁・煉瓦蔵・煉瓦塀など

   前頭・・・・13.(入間市)旧石川組製糸西洋館本館

   前頭・・・・14.(東松山市)(株)津乃国の店舗煉瓦造防火壁・煉瓦塀

   前頭・・・・15.(行田市)大澤家煉瓦足袋倉庫

   前頭・・・・16.(深谷市)尾高家の煉瓦蔵

   前頭・・・・17.(深谷市)滝沢酒造の丸形煉瓦煙突・煉瓦倉庫

   前頭・・・・18.(深谷市)東白菊酒造の煉瓦煙突・煉瓦造精米所

   前頭・・・・19.(岩槻市)東玉大正館(旧中井銀行岩槻支店)

   前頭・・・・20.(深谷市)塚本燃料店の店舗煉瓦造防火壁 

 

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11-1.日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等・・・・「備前渠用水のアーチ橋」(深谷市上敷免)・・・・備前渠鉄橋から約10m深谷駅寄りの用水路に架かる煉瓦造のアーチ橋である。長さ2m程度の小規模なものであるが、完全な(表面だけでなく構造の内部まで)煉瓦構造物と推定される貴重な遺構である。アーチ部は4枚巻。煉瓦を輸送する専用線のため堅牢に築いてある。

 

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11-2.日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等・・・・「避溢鉄橋」(深谷市明戸地先)・・・・洪水時、福川から溢れた水の逃げ場となる遊水地に架けられた鉄橋。1径間が約4.5mのボックスガーター橋の5連からなる。橋脚及び橋台は煉瓦造で築かれている。 

 

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11-3.日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等・・・・「福川鉄橋」(深谷市明戸地先)・・・・現存する日本最古のポーナル型のプレートガーター橋で、全長約10m。明治28年架設。昭和61年、連接する避溢鉄橋とともに深谷市文化財に指定された。 

 

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11-4.日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等・・・・「唐沢川鉄橋」(深谷市稲荷町地先)・・・・全長13.4mのポーナル型プレートガーター橋である。この橋桁は、すでに他の場所で使用されていたものを、移設または再構成して、現在の場所に架設されたものと考えられる。専用線深谷駅から上敷免工場の間に敷設された日本最初の民間企業専用の鉄道である。明治28年3月に着工し、同年7月に開業した。現在はレールは取り払われ遊歩道になっている。 

 

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12-1.柴崎家店舗煉瓦造防火壁・煉瓦蔵・煉瓦塀など(本庄市銀座3丁目)・・・・JR本庄駅近くにあり、明治・大正期から昭和初期まで肥料販売商で財をなした老舗であった。2階建の店舗・居住部分の両側面の壁は小口積みの煉瓦で一面が覆われている。防火の目的で建築され、関東地方では少ない大型の「うだつ」を備えている。台所・風呂場・便所など、ほぼすべての木造家屋の周りに赤煉瓦を積んでいる。かまど及び風呂場の焚口の排煙のため煉瓦造の煙突も建っている。 

 

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12-2.柴崎家店舗煉瓦造防火壁・煉瓦蔵・煉瓦塀など(本庄市銀座3丁目)・・・・屋敷の裏側(写真の右側)には大きな煉瓦蔵(L字形)が建っている。主屋の裏に小型の煉瓦造煙突が見える。店舗の右側は木造の塀であるが、それ以外の外周はすべて煉瓦塀で造られている。 

 

 

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13.旧石川組製糸西洋館本館(入間市河原町13-13)・・・・石川組製糸がアメリカの貿易商をもてなすため、設計を室岡惣七として建設した迎賓施設。木造2階建で、内部は各室毎に変化を持たせ、天井から造作まで丁寧なつくりになる。セピア色の化粧煉瓦張りとした端正な外観は、当地域の近代の景観を今に伝えている。1921(大正10)年竣工。建築面積301㎡。(文化庁データーベース参照) 

 

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14-1.  (株)津乃国の店舗煉瓦造防火壁・煉瓦塀(東松山市材木町)・・・・「旧埼玉銀行東松山支店(東松山市文書庫)」を探訪のため東武東上線東松山に行った。目的の場所に行ったが、銀行らしき建物は見つからず、大きな土蔵があり、その高い基礎部分が煉瓦造であった。その土蔵を東松山市は文書庫として使用しているようであった。帰路偶然に、見事な「(株)津乃国 」の煉瓦造に出会った。昔の家業(事業)は知らないが、道路に面した2階建の店舗及び家屋を火災から防ぐため煉瓦造の防火壁を建物の両側面全体に積んであった。正面の右側は煉瓦壁を道路まで張り出して、煉瓦壁を垂直に積み、2階の屋根の中間まで立ち上げ、うだつの構造を設けていた。小口積み。

 

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14-2.(株)建の国の店舗煉瓦造防火壁・煉瓦塀(東松山市材木町)・・・・店舗の左側面は道路になっており、2階建ての店舗及び家屋の部分だけ火災から守るように防火壁が造られていた。道路の反対側には密集した家屋などは無く、類焼する恐れが少ないため低い煉瓦塀を屋敷の奥まで建設したようである。  

 

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 15.大澤家煉瓦足袋倉庫(行田市行田290-1)・・・・中心市街地の通りに面して建つ。東西棟の切妻造桟瓦葺で、南面に出入口を設ける。建築面積42㎡の2階建。内部は漆喰仕上げで、トラス組とし、開口部には鉄扉を吊る。イギリス積の煉瓦造で、補強のための鉄筋コンクリートの水平ラインが印象的である。(文化庁データーベース参照)

 

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 16.尾高家の煉瓦蔵(深谷市下手計236)・・・・尾高惇忠(藍香)生家の主屋の裏に煉瓦造蔵がある。煉瓦の色合いは不揃いで上等品とはいえない。尾高惇忠は渋沢栄一と従兄の関係にあり、10歳年上の論語の師である。雅号を藍香といい、維新後、官営富岡製糸場の初代場長を務めた。栄一の妻千代は淳忠の妹である。蔵の竣工は1898(明治31)年と伝えられている。1階と2階の間にある下屋部分の異形煉瓦の端末(見える部分)に「七二」「四八」など意味不明の数字が刻まれている。刻印のある異形煉瓦は蔵の全周(同じ段)に積んである。日本煉瓦製造株式会社製の煉瓦と見られるが上敷免製の刻印は発見できなかった。

 

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 17-1.滝沢家の丸形煉瓦煙突・煉瓦倉庫(深谷市田所町9-20)・・・・「丸形煉瓦煙突」・・・・1863(文久3)年に比企郡小川町から移住し、酒造を操業。当初は母屋と本倉だけであったが、必要な施設を次々に煉瓦で建てたという。特に目立つのが丸形の煉瓦造大煙突である。1931(昭和6)年の地震で先端部分が崩れたものの、現在でも深谷市街を代表する建造物の一つとなっている。この種の丸形煉瓦煙突は関東地方では唯一原型に近い構造を保っている煙突である。(群馬県安中市の有田屋の丸形煉瓦煙突は先端部が4~5m崩れている)

 

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 17-2.滝沢酒造の丸形煉瓦煙突・煉瓦倉庫(深谷市田所町9-20)・・・・「煉瓦倉庫」・・・・滝沢酒造の裏手に煉瓦造倉庫がある。長さ約30m、横約4mの煉瓦壁で小口積み、軒蛇腹は4段重ね。所々にアーチ付の小窓があったが、今は閉塞してある。アーチは小規模であるがフラットアーチ形である。

 

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 18-1.東白菊酒造の煉瓦煙突・煉瓦米蔵深谷市仲町4-10)・・・・「煉瓦煙突」・・・・以前は米蒸釜と煙突が連なっていたが、新しいボイラーを使用するようになってから煙突は不用になった。酒造業のシンボルとして残し「東白菊」の文字を大書し広告塔の役目を果たしている。煉瓦煙突はイギリス積みで地上と接する部分は、正4角形で一辺に煉瓦長手7枚半を積んでいる。地震等による破損防止のため、鉄のアングルで頑丈に補強してある。

 

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 18-2.東白菊酒造の煉瓦煙突・煉瓦造精米所(深谷市仲町4-10)・・・・「煉瓦造精米所」・・・・明治末期から大正初期に建てられた米蔵や精米所は土蔵造りの技術を応用して建てられているという。現在も、ここで酒造りをして「東白菊」銘の日本酒を生産している。20年前見学した時は、大きさ直径約2.7m(1間半)の大井戸があった。ご主人の話しでは井戸の中まで、すべて煉瓦造りであるという。

 

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 19.東玉大正館(旧中井銀行岩槻支店)(さいたま市岩槻区本町3-2439-9)・・・・東武野田線岩槻駅に近く、通りの北側に建つ煉瓦造2階建で、寄棟造桟瓦葺屋根とする。正面を3分割し、上部を半円アーチ型で飾る入口を中央に開き、2階は左右の対称位置に上げ下げ窓を開ける。腰壁を石貼りとし、その上を煉瓦タイルとモルタルで仕上げる。大正期の地方銀行の好例。建築面積130㎡。年代は大正後期、平成18年改修。(文化庁データーベース参照)

 

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 20.塚本燃料店の店舗煉瓦造防火壁(深谷市本住町1-5)・・・・大正時代初期の建物。道路に面した2階建の店舗及び居住用の家屋であり、鄰家と接する両壁の部分がすべて煉瓦で造られている。主屋の壁がそのまま道路の方へ張り出し、側面から見れば1階の下屋が隠れる位置まで煉瓦の塀が延びている。煉瓦の塀は、そのまま垂直に積み上げうだつの形でまとめている。壁は煉瓦長手1枚半の厚さで、イギリス積み。軒下蛇腹は主屋・うだつとも5段重ねであり建物全体の重厚さを表わしている。

この家を建てた当時は、日本煉瓦製造株式会社に燃料の石炭を納めていたという由緒ある商家である。この種の煉瓦造建物は、深谷市街で唯一のものである。店の床も煉瓦敷という。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◎日本赤煉瓦建造物番付 埼玉県場所 令和二年一月

           《ベスト30》のうち21~30位

         勧進元東京産業考古学会 行司 八木司郎

    《順位》《所在地》 《 名 称 》

    前頭・・・・21.  (深谷市)常盤園の煉瓦倉庫

    前頭・・・・22. ( 大宮市)JR東日本大宮工場煉瓦倉庫

    前頭・・・・23. ( 深谷市)旧七つ桜酒造の煉瓦煙突・煉瓦蔵

    前頭・・・・24. ( 深谷市)小林商店の煉瓦倉庫

    前頭・・・・25. ( 深谷市)旧岡部農業協同組合

    前頭・・・・26. ( 川越市)山崎家の煉瓦造通用門・煉瓦塀

    前頭・・・・27. ( 深谷市)旧福島屋商店の煉瓦倉庫・煉瓦工場

    前頭・・・・28. ( 深谷市)石川医院裏の煉瓦蔵・煉瓦塀

    前頭・・・・29. ( 深谷市)水かけ地蔵尊の煉瓦塀

    前頭・・・・30. ( ふじみ野市)苗間神明神社の煉瓦造常夜灯

 

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 21. 常盤園の煉瓦倉庫(深谷市仲町1-5)・・・・明治10年代建設の倉庫で、明治時代末期から大正時代初期にかけて、土蔵の外壁に煉瓦を張り付けたもの、古い建物を当時の新しい材料である煉瓦でリフォームしたものであろう。元々土蔵であったことを思わせる特大の鬼瓦が注目される。軒下蛇腹は5段重ねで建物の重厚さを見せている。上部壁面は総て小口積みであるが、下部壁面は2級品の煉瓦をイギリス積にしている。恐らく隣の建物で隠れる部分であったと見られる。昭和6年、震災対策のため外側に鉄枠を設置したという。

 

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22. JR東日本大宮工場煉瓦倉庫(大宮市錦町630)・・・・大宮工場は1894(明治27)年12月10日に日本鉄道株式会社汽車課として発足した。1896(明治29)年に大宮工場と改められた。工場の建設は、木工所を除いてすべて赤煉瓦が建材として使用された。しかし、関東大震災で倒壊したり亀裂が入ったりした建物は解体されたが、1897(明治30)年に年燃料倉庫として建てられた煉瓦造の一棟(写真)だけが残った。

 

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23-1. 旧七つ桜酒造の煉瓦煙突(深谷市深谷町9-12)・・・・酒造業/田中藤左衛門商店の煉瓦造煙突(写真)。分類では「装飾蛇腹4角煉瓦煙突」であろう、頂部の蛇腹部に三角形の角が突出しているように煉瓦を積んだ部分と煉瓦を立に積んでいる部分が確認できる。

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23-2.  旧七つ桜酒造の煉瓦蔵(深谷市深谷町9-12)・・・・酒造業/田中藤左衛門商店の精米所として使用していた煉瓦蔵。現在は酒造業は廃業している。町おこしの有志が管理して、各種のイベントを開いている。古い映画を上映している映画館があったり、古本屋・古道具屋などもあった。

 

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 24. 小林商店の煉瓦倉庫(深谷市西島4丁目3-50)・・・・小林商店は1894(明治27)年創業の砂糖商。煉瓦倉庫の内部の棟木に「大正元年上棟(中略)煉瓦職萩原悠次郎」と墨で書かれているという。建てられた年代と職人の氏名が判る貴重な建物の一つである。

煉瓦造倉庫はすべて小口積である。右隣りの3階建の洋風の建物が小林商店の店舗と主屋である。当時は羽振りがいい砂糖商であったと見られる。

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25. 旧岡部農業協同組合深谷市岡部町普済寺1126-2)・・・・元岡部村役場、1915(大正4)年竣工。側面のガラス窓などは割れ、かなり傷んでいる。

 

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26. 山崎家の煉瓦造通用門・煉瓦塀(川越市仲町2-6)・・・・川越市内の商店街の中心地にある商家のアーチ形の通用門で良質の煉瓦を丁寧に積んである。右側奥に向かって高い煉瓦塀が連なっている。

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27. 旧福島屋商店の煉瓦倉庫・煉瓦工場(深谷市深谷町10-26)・・・・1921(大正10)年頃の建物で、元々コンニャクの原料倉庫兼製造工場であったという。右端の日本瓦の家が道路に面した店舗・主屋。次のガラス窓の建物の反対側は煉瓦造の壁になっており、屋根には小さな煙突が残っている。手前の煉瓦造の建物は、深谷市内では珍しい長手積である。建物の中心より左側に原料のコンニャク玉を搬入するための出入口がある。

 

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28. 石川医院裏の煉瓦蔵・煉瓦塀(深谷市西島4丁目)・・・・石川医院(耳鼻科)裏の奥に写真のような2階建の煉瓦蔵と煉瓦塀があった。小林商店から見える位置である。以前は建物で囲まれていたので発見できなかった。今回、手前が空地になり駐車場になっていたので見ることができた。二五分(1/4)の煉瓦を使用した「純粋のイギリス積」の建物である。

 

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29. 水かけ地蔵尊の煉瓦塀(深谷市深谷町12)・・・・水かけ地蔵尊大円寺)の外塀は、長さ40mぐらいの小口積の煉瓦塀がある。小口の面に「七五」と読める太い刻印が多数見られる。さらに㋑のように、直径10mmの 〇 のなかにカタカナが入っている刻印も多く見られた。これと同じ刻印が群馬県中之条町光山商事煉瓦造2連棟倉庫の腰部にも使用されていた。

 

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30. 苗間神明神社の煉瓦造常夜灯(ふじみ野市苗間372-1)・・・・苗間神明神社境内の社殿脇に煉瓦造常夜灯が建っている。この常夜灯は、旧大井村初代村長の神木三郎兵衛が献灯したと思われている。建立年は不明であるが、明治20年代中ごろの様式を持つ埼玉県内で最も古いタイプの煉瓦建造物といわれている。この種の灯明台は、①茨城県石岡市常陸国総社宮の煉瓦造高燈籠 ②愛媛県今治市波方町の玉生八幡神社の灯明台 ③苗間神明神社の常夜灯の三基が煉瓦造の灯明台として全国で確認されている。