産業遺産へGO! 過去のきらめきに触れたい

日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

東京都港区の「高輪築堤」の現状(2021.春~夏)

 高輪築堤は、1872(明治5)年にわが国初の鉄道が開業した際に、海上に線路を敷設するために築かれた鉄道構造物です。

 2019(平成31)年4月、品川駅改良工事の際に石垣の一部が発見されました。 

  JR東日本は2021年4月、品川駅から高輪ゲートウェイ駅、さらに田町駅にかけて進めている品川開発プロジェクトの4街区で出土した「高輪築堤」について、現地保存する方針を決定しました。 現地保存されるのは、橋梁部を含む約80メートル、公園隣接部約40メートルの2箇所です。

 ただ、部分保存ではなく、全面保存に向けJRには再検討を求めたい。

 
   

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高輪築堤①

【上の写真①】高輪大木戸から品川方面を臨む。

左奥の白い建物が高輪ゲートウェイ駅、矢印の先に延びているのが築堤、写真の中央の①が第七橋梁、②が信号機跡、一番右が国道15号線。明治初年は、築堤の左側が海、築堤と東海道(現国道15号線)の間が海だった。 矢印の下がおばけトンネル。   (2021年4月22日撮影)

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高輪築堤②

② 国道側から見た第七橋梁。海側に群杭が見られる。 (4月18日撮影)

 この一帯は保存が決まっているので、劣化を防ぐために、現在は埋め戻している。

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高輪築堤③

③信号機跡

 間知石で囲まれ、十字架のような木の基礎がそのまま残っている。十字の中央に金具が見られる。海だったところに群杭。 (4月22日撮影)

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高輪築堤④

 ④おばけトンネル迂回路から田町方面を臨む。右手が海側で、左手が路盤。 

 1つ1つの石に、解体のためのナンバリングをしている。

石貼りの基礎は、胴木の上に長石が並べられ、そこから緩やかな法面に石を貼りつけている。

 胴木の海側には、捨石や6列ぐらいの群杭が打ち込まれている。(7月21日撮影)

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高輪築堤⑤

⑤高輪ゲートウェイ駅2階デッキから西側正面の箇所で、路盤を断ち切った状態。右側が海側で、貼り石は撤去し、胴木は残っている。路盤は複線用、三線用と拡張されたが、その拡張に関係すると思われる遺構が出ているようである。  (7月21日撮影)

 


 

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高輪築堤⑥

 ⑥何ケ所も解体調査が行われていて、築堤がズタズタに壊されている。二枚の写真は場所が異なる。

 上の写真の上端に貼り石が残っているが、手前がそれらを取り除いた状態である。

 基礎となる胴木を固定する腕付きの杭(仮称)は場所が違っても共通してみられる。

 上の写真は海の部分に土が積もっているが、

下の写真のように海の部分には群杭が打ち込まれている。

 (8月4日撮影)

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高輪築堤⑦

⑦の写真(8月14日撮影)

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高輪築堤⑧

 

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高輪築堤⑨

⑧⑨解体され、移築予定の石。

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高輪築堤⑩

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高輪築堤⑪

⑩(8月4日撮影)、⑪(8月19日撮影)

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 覧いただいてお分かりの通り、ほとんどが国道側から撮ったものです。見学会には抽選漏れで参加できず、JR東日本の工事現場には入れないためです。いろいろと工夫して撮ったものです。日に日に世界遺産級の築堤が解体されていく様子を見ていると、この国は何なんだと悲しくなってきます。

                       2021年8月21日 東海林次男