産業遺産へGO! 過去のきらめきに触れたい

日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

◎日本赤煉瓦建造物番付 埼玉県場所 令和二年一月

          《ベスト30》のうち11~20位

        勧進元東京産業考古学会 行司  八木司郎

    《順位》  《所在地》   《 名 称 》   

   前頭・・・・11.(深谷市)日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等

   前頭・・・・12.(本庄市)柴崎家店舗煉瓦造防火壁・煉瓦蔵・煉瓦塀など

   前頭・・・・13.(入間市)旧石川組製糸西洋館本館

   前頭・・・・14.(東松山市)(株)津乃国の店舗煉瓦造防火壁・煉瓦塀

   前頭・・・・15.(行田市)大澤家煉瓦足袋倉庫

   前頭・・・・16.(深谷市)尾高家の煉瓦蔵

   前頭・・・・17.(深谷市)滝沢酒造の丸形煉瓦煙突・煉瓦倉庫

   前頭・・・・18.(深谷市)東白菊酒造の煉瓦煙突・煉瓦造精米所

   前頭・・・・19.(岩槻市)東玉大正館(旧中井銀行岩槻支店)

   前頭・・・・20.(深谷市)塚本燃料店の店舗煉瓦造防火壁 

 

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11-1.日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等・・・・「備前渠用水のアーチ橋」(深谷市上敷免)・・・・備前渠鉄橋から約10m深谷駅寄りの用水路に架かる煉瓦造のアーチ橋である。長さ2m程度の小規模なものであるが、完全な(表面だけでなく構造の内部まで)煉瓦構造物と推定される貴重な遺構である。アーチ部は4枚巻。煉瓦を輸送する専用線のため堅牢に築いてある。

 

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11-2.日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等・・・・「避溢鉄橋」(深谷市明戸地先)・・・・洪水時、福川から溢れた水の逃げ場となる遊水地に架けられた鉄橋。1径間が約4.5mのボックスガーター橋の5連からなる。橋脚及び橋台は煉瓦造で築かれている。 

 

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11-3.日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等・・・・「福川鉄橋」(深谷市明戸地先)・・・・現存する日本最古のポーナル型のプレートガーター橋で、全長約10m。明治28年架設。昭和61年、連接する避溢鉄橋とともに深谷市文化財に指定された。 

 

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11-4.日本煉瓦製造株式会社専用線の鉄橋等・・・・「唐沢川鉄橋」(深谷市稲荷町地先)・・・・全長13.4mのポーナル型プレートガーター橋である。この橋桁は、すでに他の場所で使用されていたものを、移設または再構成して、現在の場所に架設されたものと考えられる。専用線深谷駅から上敷免工場の間に敷設された日本最初の民間企業専用の鉄道である。明治28年3月に着工し、同年7月に開業した。現在はレールは取り払われ遊歩道になっている。 

 

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12-1.柴崎家店舗煉瓦造防火壁・煉瓦蔵・煉瓦塀など(本庄市銀座3丁目)・・・・JR本庄駅近くにあり、明治・大正期から昭和初期まで肥料販売商で財をなした老舗であった。2階建の店舗・居住部分の両側面の壁は小口積みの煉瓦で一面が覆われている。防火の目的で建築され、関東地方では少ない大型の「うだつ」を備えている。台所・風呂場・便所など、ほぼすべての木造家屋の周りに赤煉瓦を積んでいる。かまど及び風呂場の焚口の排煙のため煉瓦造の煙突も建っている。 

 

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12-2.柴崎家店舗煉瓦造防火壁・煉瓦蔵・煉瓦塀など(本庄市銀座3丁目)・・・・屋敷の裏側(写真の右側)には大きな煉瓦蔵(L字形)が建っている。主屋の裏に小型の煉瓦造煙突が見える。店舗の右側は木造の塀であるが、それ以外の外周はすべて煉瓦塀で造られている。 

 

 

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13.旧石川組製糸西洋館本館(入間市河原町13-13)・・・・石川組製糸がアメリカの貿易商をもてなすため、設計を室岡惣七として建設した迎賓施設。木造2階建で、内部は各室毎に変化を持たせ、天井から造作まで丁寧なつくりになる。セピア色の化粧煉瓦張りとした端正な外観は、当地域の近代の景観を今に伝えている。1921(大正10)年竣工。建築面積301㎡。(文化庁データーベース参照) 

 

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14-1.  (株)津乃国の店舗煉瓦造防火壁・煉瓦塀(東松山市材木町)・・・・「旧埼玉銀行東松山支店(東松山市文書庫)」を探訪のため東武東上線東松山に行った。目的の場所に行ったが、銀行らしき建物は見つからず、大きな土蔵があり、その高い基礎部分が煉瓦造であった。その土蔵を東松山市は文書庫として使用しているようであった。帰路偶然に、見事な「(株)津乃国 」の煉瓦造に出会った。昔の家業(事業)は知らないが、道路に面した2階建の店舗及び家屋を火災から防ぐため煉瓦造の防火壁を建物の両側面全体に積んであった。正面の右側は煉瓦壁を道路まで張り出して、煉瓦壁を垂直に積み、2階の屋根の中間まで立ち上げ、うだつの構造を設けていた。小口積み。

 

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14-2.(株)建の国の店舗煉瓦造防火壁・煉瓦塀(東松山市材木町)・・・・店舗の左側面は道路になっており、2階建ての店舗及び家屋の部分だけ火災から守るように防火壁が造られていた。道路の反対側には密集した家屋などは無く、類焼する恐れが少ないため低い煉瓦塀を屋敷の奥まで建設したようである。  

 

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 15.大澤家煉瓦足袋倉庫(行田市行田290-1)・・・・中心市街地の通りに面して建つ。東西棟の切妻造桟瓦葺で、南面に出入口を設ける。建築面積42㎡の2階建。内部は漆喰仕上げで、トラス組とし、開口部には鉄扉を吊る。イギリス積の煉瓦造で、補強のための鉄筋コンクリートの水平ラインが印象的である。(文化庁データーベース参照)

 

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 16.尾高家の煉瓦蔵(深谷市下手計236)・・・・尾高惇忠(藍香)生家の主屋の裏に煉瓦造蔵がある。煉瓦の色合いは不揃いで上等品とはいえない。尾高惇忠は渋沢栄一と従兄の関係にあり、10歳年上の論語の師である。雅号を藍香といい、維新後、官営富岡製糸場の初代場長を務めた。栄一の妻千代は淳忠の妹である。蔵の竣工は1898(明治31)年と伝えられている。1階と2階の間にある下屋部分の異形煉瓦の端末(見える部分)に「七二」「四八」など意味不明の数字が刻まれている。刻印のある異形煉瓦は蔵の全周(同じ段)に積んである。日本煉瓦製造株式会社製の煉瓦と見られるが上敷免製の刻印は発見できなかった。

 

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 17-1.滝沢家の丸形煉瓦煙突・煉瓦倉庫(深谷市田所町9-20)・・・・「丸形煉瓦煙突」・・・・1863(文久3)年に比企郡小川町から移住し、酒造を操業。当初は母屋と本倉だけであったが、必要な施設を次々に煉瓦で建てたという。特に目立つのが丸形の煉瓦造大煙突である。1931(昭和6)年の地震で先端部分が崩れたものの、現在でも深谷市街を代表する建造物の一つとなっている。この種の丸形煉瓦煙突は関東地方では唯一原型に近い構造を保っている煙突である。(群馬県安中市の有田屋の丸形煉瓦煙突は先端部が4~5m崩れている)

 

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 17-2.滝沢酒造の丸形煉瓦煙突・煉瓦倉庫(深谷市田所町9-20)・・・・「煉瓦倉庫」・・・・滝沢酒造の裏手に煉瓦造倉庫がある。長さ約30m、横約4mの煉瓦壁で小口積み、軒蛇腹は4段重ね。所々にアーチ付の小窓があったが、今は閉塞してある。アーチは小規模であるがフラットアーチ形である。

 

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 18-1.東白菊酒造の煉瓦煙突・煉瓦米蔵深谷市仲町4-10)・・・・「煉瓦煙突」・・・・以前は米蒸釜と煙突が連なっていたが、新しいボイラーを使用するようになってから煙突は不用になった。酒造業のシンボルとして残し「東白菊」の文字を大書し広告塔の役目を果たしている。煉瓦煙突はイギリス積みで地上と接する部分は、正4角形で一辺に煉瓦長手7枚半を積んでいる。地震等による破損防止のため、鉄のアングルで頑丈に補強してある。

 

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 18-2.東白菊酒造の煉瓦煙突・煉瓦造精米所(深谷市仲町4-10)・・・・「煉瓦造精米所」・・・・明治末期から大正初期に建てられた米蔵や精米所は土蔵造りの技術を応用して建てられているという。現在も、ここで酒造りをして「東白菊」銘の日本酒を生産している。20年前見学した時は、大きさ直径約2.7m(1間半)の大井戸があった。ご主人の話しでは井戸の中まで、すべて煉瓦造りであるという。

 

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 19.東玉大正館(旧中井銀行岩槻支店)(さいたま市岩槻区本町3-2439-9)・・・・東武野田線岩槻駅に近く、通りの北側に建つ煉瓦造2階建で、寄棟造桟瓦葺屋根とする。正面を3分割し、上部を半円アーチ型で飾る入口を中央に開き、2階は左右の対称位置に上げ下げ窓を開ける。腰壁を石貼りとし、その上を煉瓦タイルとモルタルで仕上げる。大正期の地方銀行の好例。建築面積130㎡。年代は大正後期、平成18年改修。(文化庁データーベース参照)

 

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 20.塚本燃料店の店舗煉瓦造防火壁(深谷市本住町1-5)・・・・大正時代初期の建物。道路に面した2階建の店舗及び居住用の家屋であり、鄰家と接する両壁の部分がすべて煉瓦で造られている。主屋の壁がそのまま道路の方へ張り出し、側面から見れば1階の下屋が隠れる位置まで煉瓦の塀が延びている。煉瓦の塀は、そのまま垂直に積み上げうだつの形でまとめている。壁は煉瓦長手1枚半の厚さで、イギリス積み。軒下蛇腹は主屋・うだつとも5段重ねであり建物全体の重厚さを表わしている。

この家を建てた当時は、日本煉瓦製造株式会社に燃料の石炭を納めていたという由緒ある商家である。この種の煉瓦造建物は、深谷市街で唯一のものである。店の床も煉瓦敷という。