●八木赤煉瓦番付ブログと、『産業遺産巡礼』(市原猛志著)
八木司郎・東京産業考古学会会長の全国赤煉瓦番付は、会長の地元である“茨城県場所”がひとまず千秋楽を迎え、会長は次の“栃木県場所”に向け、80代半ばという年齢にも関わらず猛暑の中、連日のように取材に出かけているそうです。
赤煉瓦建造物それ自体は全国にかなりあります。その中からどれを選ぶかは選者(行司)の判断ですが、茨城県場所の番付が始まったのとほぼ同時期に刊行された『産業遺産巡礼』という全国の産業遺産を紹介した本を読んでいて、八木会長が取り上げず、市原さんが紹介している赤煉瓦建造物がありました。それについて記します。
(2019年7月に刊行。数年間で全国各地を回ってまとめた労作)
ちなみに市原猛志さんは、九州を拠点に活動されている若手研究者で、九州大学大学文書館協力研究員・博士(工学)、北九州市(仮称)平和資料館担当学芸員・北九州市門司麦酒煉瓦館館長などを務めています。
その赤煉瓦建造物というのは、茨城県龍ケ崎市にある「竹内農場の西洋館」です。『産業遺産巡礼』のP135に紹介されています。
(『産業遺産巡礼』P135から引用しました)
同著には以下の説明があります。
「この農場を経営していた竹内明太郎は、佐賀に拠点を持つ竹内鉱業の鉱主であり、また石川県では遊泉寺銅山という鉱山をも経営していた。これら鉱山を系譜に持つ会社として上場企業としてのコマツ(小松製作所)、そして九州には佐賀県唐津市の唐津プレシジョン(唐津鉄工所)が現存している」
この赤煉瓦建造物は地元、龍ケ崎市ではかなり注目されている産業遺産のようです。ネットで検索すると「NPO法人 龍ケ崎の価値ある建造物を保存する市民の会」がいろいろ調べており、判明した内容を紹介しています。
竹内明太郎(1860-1928)は日産自動車の前身、ダットサンの創業者の1人で、ダットサン(DAT)のTは竹内明太郎の頭文字から採ったとのこと。元首相の吉田茂は竹内明太郎の弟とあります。
「(竹内家の関係者が引き上げて)1世紀近くの年月が流れ、モダンだった西洋館は床は抜け屋根は朽ち落ち、今は見る影もなくレンガ壁のみを残す状態で廃墟となっております。
この歴史ある西洋館が太陽光発電施設の進出で存続が危うくなっています。当NPO法人はこの建物の復元保存を願うと共に、史跡として、文化財としての価値を市民にアピールし、保存運動の大きなネットワークを創生したいと考えております」と、保存運動に取り組んでいます。
詳しくは、ネットで検索してみてください。
赤煉瓦遺産も見る人の視点で多様という一例でした。(K.O)