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日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

日本赤煉瓦建造物番付

 

   ◎日本赤煉瓦建造物番付 神奈川県場所 令和二年十一月

          《ベスト30》のうち26~30位

        勧進元 東京産業考古学会 行司 八木司郎

《順位》    《取在地》   《 名 称 》

前頭・・・・26.(藤沢市)旧サムエル・コッキング庭園の煉瓦造温室遺構

前頭・・・・27.(横浜市)山手80番館遺跡

前頭・・・・28.(横浜市)ジェラール水屋敷地下貯水槽

前頭・・・・29.(横浜市)旧横浜居留地煉瓦造下水道

前頭・・・・30.(横浜市)旧居留地消防隊地下貯水槽遺構

 

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26(1) 旧サムエル・コッキング庭園の煉瓦造温室遺構・・・・英国人貿易商サムエル・コッキングが、江の島に造った庭園の一角に巨額の私財を投じて1887(明治20)年頃、煉瓦造温室を建造した。1923(大正12)年の関東大震災で温室の上屋はすべて倒壊したが、煉瓦を主体とした基礎部分や地下に造られた施設が残った。

 

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26(2) 旧サムエル・コッキング庭園の煉瓦造温室遺構・・・・地下通路の入口、通路の幅は約1m、高さ約1.9m、天井はアーチ型。

 

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26(3) 旧サムエル・コッキング庭園の煉瓦造温室遺構・・・・遺構の一部

 

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 26(4) 旧サムエル・コッキング庭園の煉瓦造温室遺構・・・・遺構の各所にこのような解説板が建てられている。

 

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26(5) 旧サムエル・コッキング庭園の煉瓦造温室遺構の煉瓦刻印・・・・遺構の上に通路が設けられており、見学者は通路から下の遺構や煉瓦を見ることができる。①と②の刻印は現地で確認できた。刻印①の煉瓦は多摩川沿いに工場があった「横浜煉化製造会社」の製品である。刻印②の製造所は不明。③④は「○にカ」の刻印で旧東京砲兵工廠銃包製造所(自衛隊十条駐屯地)の建物に使用されていた。製造所の特定はできていないが、東京の荒川沿いの煉瓦工場と見られる。(刻印の出典はインターネット「歩鉄の達人」より転写)

 

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27(1) 山手80番館遺跡・・・・関東大震災前に建てられた横浜に唯一現存する外国人の住宅の遺構で、当時の生活状況を伝える貴重な遺跡。震災当時はマクガワン夫妻の住居であったという。解説板(27(4))によれば、遺構の概要は次のとおり。

「構造規模:鉄筋補強煉瓦造(当初3階建)、建築面積:180㎡、外壁:人造石貼、

内壁:モルタル塗・一部漆喰塗、床:コンクリート及び土間(当時板床)・一部タイル敷、附属設備:煉瓦造浄化槽、建設年代:明治末~大正初期、設計者:不詳、居住者:マクガワン夫妻(大正12年当時)」

 

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27(2) 山手80番館遺跡・・・・建造物は3階建のため、煉瓦壁がかなり厚い。

 

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27(3) 山手80番館遺跡・・・・山手80番館は、煉瓦壁体が鉄棒によって補強されており、耐震上の配慮がなされていたが、床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみらて関東大地震による被害が甚大であったことがわかる遺構である。

 

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27(4) 山手80番館遺跡・・・・現地に建つ解説板。山手80番館はかなり広い面積の建物で、間取りの多い3階建の煉瓦造であった。

 

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28(1) ジェラール水屋敷地下貯水槽・・・・この建造物は、登録有形文化財(建造物)に2001年4月24日に登録されている。建設:1877~1886(明治10)年代。煉瓦造、面積114㎡、所在地:横浜市中区元町1-77。

幕末から横浜に居住したフランス人ジェラールが経営した船舶給水業の施設で、兼業したフランス瓦・煉瓦製造工場の地下に築造され、谷戸の湧水を集めて貯水した。天井はいわゆる防火床。水屋敷の遺構として親しまれ、最近ポケットパーク的に整備された。(文化庁データーベース参照)

 

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28(2) ジェラール水屋敷地下貯水槽・・・・元町公園中央の低地部分や市営プールなど「ウォーターガーデン」として整備されているあたりは、明治の初めにフランス人実業家ジェラールが船舶給水業を営んだ場所として知られている。湧き水を簡易水道で引き、外国船に飲料水として売っていた。その品質の良さで好評だったらしい。ジェラールはまた同地で西洋瓦の製造も行っている。ジェラールのこれらの施設を、人々は「ジェラールの水屋敷」と呼んだという。

ジェラールは1878(明治11)年に帰国、工場はフランス人ドゥヴェーズが継承し1907(明治40)年に工場の機械類が売却されるまで、このドゥヴェーズがジェラール工場の

繁栄を支えていた。

 

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28(3) ジェラール水屋敷地下貯水槽・・・・現地に建つ「ジェラールの瓦工場と水屋敷跡」を説明した解説板。

 

 

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29(1) 旧横浜居留地煉瓦造下水道・・・・煉瓦造土木構造物、建設年代:1881~1883(明治14~16)年、故造及び形式等:外径長4.0m、外径幅3.2m、沈殿槽部深さ2.1m、前後卵形管延長41.5m附属。

明治初年のブラントン設計による陶管下水道を煉瓦造に改造した際の施設。当時神奈川県御用掛の三田善太郎が計画にあたる。日本人の計画になる最初の近代下水道遺構として貴重。2本の中下水卵形管を接続する。大桟橋入口の開港広場に保存展示されている。(文化庁データーベース参照)写真は横浜都市発展記念館前に展示されている卵形煉瓦造下水管。

 

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29(2) 旧横浜居留地煉瓦造下水道・・・・横浜都市発展記念館前に建つ解説板。

 

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30(1) 旧居留地消防隊地下貯水槽遺構・・・・1871(明治4)年から1899(明治32)年まで居留地消防隊の本拠地だった場所にある遺構。1972(昭和47)年まで使用されていた。

横浜市認定歴史的建造物に指定されている。所在地は横浜市中区日本大通12、横浜都市発展記念館前。

 

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30(2) 旧居留地消防隊地下貯水槽遺構・・・・建造年:1893(明治26)年(推定)、構造:煉瓦造(イギリス積)、規模:底面3.19m×3.17m・高さ4.50m・貯水量28㎥、

ここは、居留地消防隊が本拠地として使用した後にも、日本初の消防車(1914(大正3)年)、救急車(1933(昭和8)年)が配置されるなど、日本における近代消防ゆかりの地ともいえる場所である。

 

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30(3) 旧居留地消防隊地下貯水槽遺構・・・・現地に建つ解説板。