産業遺産へGO! 過去のきらめきに触れたい

日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

 ◎日本赤煉瓦建築物番付 栃木県場所 令和元年九月

          《ベスト30》のうち21~30位

        勧進元  東京産業考古学会 行司 八木司郎

《順位》  《所在地》   《 名 称 》       《備考》

前頭・・・・21.(小山市)西堀酒造煙突・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登録

前頭・・・・22.(栃木市)櫻井肥料店煉瓦蔵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登録

前頭・・・・23.(佐野市)永島鋳物工場(佐野鋳造所)・・・・・・・・・調査

前頭・・・・24.(佐野市)江州屋の煙突・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・調査

前頭・・・・25.(さくら市JR東北本線氏家駅他の危険品庫・・・・調査

前頭・・・・26.(栃木市)西水代尋常小学校校門・・・・・・・・・・・・・・項目

前頭・・・・27.(小山市)小野塚イツ子記念館の煉瓦煙突・・・・・・無

前頭・・・・28.(日光市)わたらせ渓谷鐡道足尾駅危険品庫・・・・登録

前頭・・・・29.(栃木市)大塚邸煉瓦倉庫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・項目

前頭・・・・30.(野木町熊野神社煉瓦積土塁・・・・・・・・・・・・・・・・無

 

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21.西堀酒造煙突・・・・小山市大字栗宮にある酒造会社の敷地のほぼ中央に位置する煉瓦造の煙突である。基底部は1.9m角、高さは約14mである。煉瓦は下野煉化製造会社の製品と伝えられている。イギリス積、四隅を山形鋼でおさえ、丸鋼をナット締めして補強している。地域のランドマークとして親しまれている。(文化庁データベース参照) 煙突の周りを人が頻繁に通行するため、危害防止用の金網が取り付けられたいる。また煉瓦に剥離が生じている部分が散見される。

 

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 22.櫻井肥料店煉瓦蔵・・・・煉瓦蔵は主屋の西南方に位置し、文庫蔵と向き合って建っている。桁行2間半梁間1間、寄棟造、桟瓦葺、平入の平屋建煉瓦造物置で、壁厚は煉瓦1枚積とする。小規模ながら、フランス積で、壁上部に煉瓦を抜いて千鳥模様を造りだすなど煉瓦積技法にも見所がある。(文化庁ベータベース参照)櫻井肥料店は栃木市街の中心部の四ッ辻に建ち、手広く商いをしていた老舗である。屋敷の裏から船を出し巴波川を利用して江戸方面に物資を運んで商売をしていた。創業は1490年頃という。

 

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23.佐野の鋳物「天明鋳物」の歴史は古く、室町時代には「西の芦屋、東の天明」と言われ、全国にその名を知られてきた。明治期に入っても生産が継続され、戦前までは地域の重要な産業として息づいてきた。写真はキューポラ(溶鉱炉)を覆う建屋(覆屋)である。明治後期の鉄骨煉瓦造である。煉瓦は長手積、内側は煤で黒くなっている。最近周りの建屋を解体したので、覆屋がよく見えるようになった。全国的にも極めて珍しい物件である。

 

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 24.江州屋の煙突・・・・江州屋は大正時代創業の味噌・醤油醸造会社。創業者である亀山家は近江の出身で、近江井伊家直轄の領地であった佐野に入植し、江州屋を創業したとされる。大釜から続く煙突は、建物外まで煙道を暗渠としており煙突は離れた場所に建っいる。現在は個人用の味噌を醸造しているだけである。煙突は外部から見たところ補強用の鉄材などは使用しておらず、建設当初の姿を保っているように見えた。

 

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 25.JR東北本線氏家駅他の危険品庫・・・・氏家駅の危険品庫は1909(明治42)年に建てられた。煉瓦造全体はイギリス積、角部はオランダ積である。大きさは縦3.85m・横2.95m・軒高2.16m・最高の高さ2.60mで妻面上部は円弧になっている。(文化庁データベース参照) 危険品庫は各駅に建っていたが、JRの合理化でかなり減少している。氏家駅片岡駅矢板駅(白ペンキで塗られている)には残っ入るが、間々田駅・野崎駅の危険品庫は解体された。

 

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26.西水代尋常小学校校門・・・・南小学校の西側に煉瓦造校門は立っていたが、小学校の前に広い道路が開通し、正門の位置が変わった。1889(明治22)年12月11日西水代尋常小学校の正門として煉瓦造の校門が竣工した。学制の変遷等で小学校の名称も変更し現在は南小学校になっている。1975(昭和50)年3月現在地に記念物として移築した。煉瓦の平面を確認したが、下野煉化製造会社の刻印は発見できなかった。

 

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27.小野塚イツ子記念館の煉瓦煙突・・・・小山市神町に小野塚イツ子記念館がある。その敷地に煉瓦造煙突も建っている。これらの建物等は小野塚イツ子氏が小山市に寄贈したものである。醤油工場の跡地であり、高さ15mほどの煉瓦煙突は1923(大正12)年頃、築造されたようである。小山市は煙突の内部にコンクリートを充填し補強したようである。煉瓦は手抜き煉瓦で全体をイギリス積、角部をオランダ積としている。

 

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28.わたらせ渓谷鐡道足尾駅危険品庫・・・・本屋の南西に位置する。灯油等の危険品を収納するために造られた間口2.7m奥行1.8mの片流、波形スレート葺の煉瓦造平屋建。外壁は半枚厚の長手積で、四隅に柱形をつくり、間口部は欠円アーチ形とする。わたらせ渓谷鐡道で数少ない煉瓦造建築のひとつ。(文化庁データベース参照)煉瓦の4分の1程度露出している部分から深谷の上敷免製の刻印を発見した。

 

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29.大塚邸煉瓦倉庫・・・・栃木県の近代化遺産調査報告書のうち、項目のみを列挙した個所から、この煉瓦倉庫のことを知った。栃木市倭町2番17号に行って確認した。煉瓦造の前の部分は解体し、車庫として使用していた。

 

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30.熊野神社煉瓦積土塁・・・・下野煉化製造会社の煉瓦を古河市方面に陸送する場合、熊野神社横の上り坂を通行するのが近道である。神社は高い場所にあり、大雨の後など土が流れ落ちて悪路になっていた。石板の記念碑があり、「熊野神社境内 土止土盛工事之記、煉瓦七分下野煉瓦製造株式会社寄附、煉瓦三分大字野渡負担、運搬野渡馬車一同献納、土運搬氏子一同献人夫 氏子総代(以下略)」。今は崩れ欠けているが会社と住民が協力して完成させた煉瓦積土塁である。長さは約100mの煉瓦積土塁である。

 

《備考》(略字)

重文・・・・国指定重要文化財に指定されているもの

登録・・・・登録有形文化財(建造物)に登録されているもの

調査・・・・栃木県の近代化遺産総合調査報告書に解説(調査)されているもの

項目・・・・栃木県の近代化遺産総合調査報告書に項目のみ記載されているもの

赤煉・・・・日本赤煉瓦建築番付に記載されているもの

赤土・・・・日本赤煉瓦土木番付に記載されているもの

土木・・・・日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2000に載っているもの

自指・・・・市(町)指定文化財に指定されているもの

無・・・・・・無指定のもの