「印刷博物館」を見学しました
■凸版100年記念事業の博物館
TIASの9月の見学会(9月6日実施)は、文京区水道橋1丁目にある凸版印刷の「印刷博物館」でした。
凸版印刷は2000年に、創立100年記念事業の一環として、21階建ての「トッパン小石川ビル」(高さ95㍍)を建設、併せて「印刷の過去、現在、未来を伝える」ため、国内外の印刷関係の資料を収集・展示した博物館を同ビルの地階に設けました。
この小石川ビルは、近辺では高さ、デザインとも目立つだけに、凸版印刷の本社と思っている人が多いらしいですが、そうではありません。
(印刷博物館の売店で購入した絵はがき。18世紀の植字室の風景)
それはさておき、この日の見学会参加者から「TIASの見学先にここを選んだのは何か理由があるの? 産業遺産に関する企画展でも?」との質問がありました。
これに対し、見学会を企画したTIASの理事は、「いや、特にそういうわけではなくて…」と答えましたが、当会の見学会・講演会はこれまでもそうですが、「今、なぜこのテーマで?」ということとは関係なく企画することが少なからずあります。
産業遺産に関する見学会・講演会のテーマを選ぶ際、「今なぜそれなの?」はあまり問わないようにしている、と言っていいかとも思います。当方(TIAS)の見学会等は、産業遺産全体についてまんべんなく勉強することが主目的で、言ってみれば大学の教養課程みたいなものといえるでしょう。
が、見学先を選ぶに当たっては、理由はないよりあった方がもちろんいいです。タイムリーなものであれば、参加者が増えることが期待できますので。
■凸版のリクルート「持ち合い株」
筆者なりに今回の見学会の趣旨を解釈させていただければ、凸版印刷はこの9月に、長年保有していたリクルートホールディングスの株式を大量に売却、859億円もの特別利益を計上したことが産業界、株式市場で話題になっていることと関係があります。
通常の株式売却による特別利益計上ならさほど話題にならないのですが、凸版の株式売却は、戦後の日本企業の慣行とも言えた企業同士が絆を強めるため互いの株式を保有し合う「持ち合い」の解消に伴うものだったから注目されました。
(リクルート株の売却を伝える記事。日経新聞 19.9.11付)
リクルートですが、団塊世代を含む70代から60代の高齢者世代にとっては、「就職ジャーナル」などを通じて様々な青春時代の思い出にリンクする会社かと思います。大学新聞の広告代理店として1960年に創業した当時、リクルートは紙媒体が中心で、広告代理店のほか、印刷会社、製紙会社などの主要取引先に自社株を持ってもらいました。凸版もその1社でした。
株式の持ち合いは戦後長く続きました。もちつもたれつの日本特有の企業文化でしたが、株主総会の形骸化につながるなど、近年そのマイナス面が問題視され、外国人投資家からはクリアでない慣行として是正が強く求められていたのです。
こうした大規模な持ち合い解消は初めてのことです。
今回、リクルート株を売却した企業は大日本印刷や電通など他にもありましたが、凸版印刷は、その株数と売却益で注目されるものとなりました。凸版が売却で得た特別利益を今後どのように使うのか、業界や投資家の関心が集まっています。
以上、なぜ今、凸版の博物館見学なのかについての私なりの解説でした。
前置きがずいぶん長くなりすいません。では、印刷博物館の見学記を始めます。
■活版印刷
本など印刷物は、かつては活字を組む活版印刷でした。今日では特殊な分野でほそぼそと続いていますが、その活版印刷作業場が同博物館に再現されていました。
活字を一つ一つ拾って木箱に詰めて版を作り、それにインクを乗せて刷るのが活版印刷ですが、下の写真のような活字棚の前に初めて立つ人は、活字の種類の多さと、その小ささに呆然と佇むしかないのです。それがベテラン職人の場合、原稿を見ながら3秒程度に1個のスピードで活字を拾うことができるそうです。
(印刷博物館の活字棚)
筆者は2013年に、短歌や俳句の雑誌を主に印刷している新宿区のS活版印刷会社を見学したのですが、同社経営者は、1個の活字を拾う平均時間は7~8秒と言っていました。もちろん、どんな本によるかでそのピードは違ってくるのでしょう。
その文選工は多くが歩合給-ひとつの仕事をこなせばなんぼの世界-で、彼らの多くは、その日もらったお金は飲み代にすべて消えていったそうです。貯蓄というか老後のことは考えなかったようです。
筆者は、そのS印刷会社で名刺を作ってもらった(100枚注文)のですが、竹の繊維をすり込んだやや特殊な和紙だったこともあり、1枚100円でした。同社の担当者は、「名刺印刷では圧力を加えて凹凸感が出るようにしてくれとの注文が若人中心に多い。昔は滑らかな表面がいい印刷で、でこぼこ感を出すなんて邪道だったのに。時代は変わったね」と苦笑していました。
(見学風景)
■ヴァチカン教皇庁図書館展を2回開催
印刷博物館はヴァチカン教皇庁図書館展を2002年と2015年に2回目開催しています。ヴァチカン教皇庁図書館といってもピンとくる人は少ないかもしれませんが、世界で最も歴史のある写本等の図書館です。
筆者は2000年の展示を見ました。当時、自由が丘のカリグラフィー教室に通っていたため、中世の写本の実物を是非とも見てみたいと思ったのです。
2015年の2度目の展覧会を受けて出版された本を読んでみたら、同図書館のチェーザレ・パジーニ館長が冒頭のあいさつでこう述べています。
「ヴァチカン教皇庁図書館は15世紀中頃の人文主義の時代、ルネサンスの最盛期に誕生し、その当時浸透していた初期の着想のもと今も生き続けています。人文主義とは、その普遍性の精神によって特徴づけられ、その精神はそれより何世紀も前の古代劇作家テレンティウスの言葉『人間に関わるもので私に無縁なものなどない』の中にまさしく表されています」
さらに、同図書館は「すべての言語、すべての国、そしてすべての文化の書物を保管する場所として作られ、あらゆる信念のもとにあらゆるところからやってくるすべての学者、研究者に開かれたものでした」としています。
なるほどですね。
■スタンホープ印刷機
印刷博物館には世界に数十台しかないとされる印刷機、スタンホーププレスがあります。下の写真がそれです。
(日本に4台しかないスタンホープ)
同印刷機は19世紀初めに英国のチャールズ・スタンホープによって開発されました。それまでの印刷機は木製でしたが、初めて鉄製のフレームを使ったことで耐久性が高まって大量印刷が可能となった画期的な製品でした。総鉄製印刷機の元祖です。(グーテンベルグの印刷機は、木製のブドウ絞り器を改良したものでした)
現在、スタンホープ印刷機は英国に10台保存されていて、日本には印刷博物館含め4台あります。
このうち、「お札と切手の博物館」(国立印刷局)にあるのは日本で最初に輸入されたオランダ製で、国の重要文化財に指定されています。
残りの2台は、ミズノプリンティングミュージアムと個人(木版画家)が保有しています。
以上、印刷博物館の見学会報告でした。
<お知らせ>
東京産業考古学会(TIAS)では、さまざまな講演会・見学会を毎月行っています。
会員でなくてもみなさんどうぞ自由にご参加下さい。参加費は基本的に1千円です。 (K.O)