産業遺産へGO! 過去のきらめきに触れたい

日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

 

    ◎日本赤煉瓦建築物番付 茨城県場所 令和元年八月 

        勧進元 東京産業考古学会 行司 八木司郎

 すでに、「日本赤煉瓦建築番付関門場所」及び「日本赤煉瓦土木番付」を本ブログで紹介した。しかし、上記の番付表に載っていない赤煉瓦建築物が各地域にはかなり多く存在している。今回、茨城県内で愛され親しまれている赤煉瓦建築物を番付表にならって編集することにした。番付表は昔から、東西に分けて作成すべきであるが、ここでは大相撲の格付を参考にして順位を決めるようにした。「茨城県内赤煉瓦造ベスト30」とでも思っていただければありがたいです。

 赤煉瓦をこよなく愛し、全国の赤煉瓦造を全部見て廻るのを生涯の目標にしている者が、行司役として茨城県の赤煉瓦建築物の番付を写真付きで、まず1位~5位までを発表します。

横綱・・・・1.(牛久市)牛久シャトーカミヤ(重要文化財3件)

大関・・・・2.(稲敷市)横利根閘門(重要文化財1件)

関脇・・・・3.(阿見町)イセキ農機(旧霞ヶ浦海軍航空隊中央格納庫群)

小結・・・・4.(坂東市)反町閘門(登録有形文化財

小結・・・・5.(北茨城市大津港駅前煉瓦倉庫

 

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1-1 牛久シャトーカミヤの本館(事務棟:重要文化財、1903(明治36)年竣工

 

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1-2 牛久シャトーカミヤの本館:塔屋(時計台付)

 

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1-3 牛久シャトーカミヤの玄関出入口、昔は収穫したブドウを運ぶトロッコ軌道が

ブドウ畑から、向こうの醸造棟まで敷かれていた。

 

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1-4 牛久シャトーカミヤの醸造棟(重要文化財)現:神谷伝兵衛記念館になっている。

 

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1-5 牛久シャトーカミヤの醸造棟の右側部分、丸窓と2階窓上部のアーチが美しい。

 

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1-6 牛久シャトーカミヤの醸造棟の地下室にブドウ樽が並ぶ、煉瓦壁にはカビが

付着している。

 

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1-7 牛久シャトーカミヤの貯蔵庫(重要文化財)煉瓦は美しく痛んでいない。

 

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1-8 牛久シャトーカミヤの貯蔵庫 現:レストラン・キャノン(休業中)。

 

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2-1 横利根閘門(重要文化財):利根川と横利根川霞ヶ浦)の水位の調整・霞ヶ浦沿岸地域の治水、舟運の役目、わが国で最大の規模をもつ煉瓦造閘門である。 

 

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2-2 横利根閘門:閘門の大きさ有効長90.9m、幅員10.9m、深さ平均2.6m。

 

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2-3 横利根閘門:撮影した時、香取神宮の御座船が通過した。

 

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2-4 横利根閘門:複式閘門複扉式の閘門であり前後に大小4枚・計8枚の扉を有する。

御座船は利根川方向に航行している。扉4枚が開いている。

 

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2-5 横利根閘門:石材やコンクリートも大量に使用したが、煉瓦は約280万個を使用。

 

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3-1 イセキ農機(旧霞ヶ浦海軍航空隊中央格納庫群)(以下中央格納庫群という)。

 1921(大正10)年霞ヶ浦飛行場が開設された。英国から110機の飛行機を購入し、操縦・整備等を教えるセンピル大佐ら教官団が来日した。

 

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3-2 イセキ農機(旧中央格納庫群):彼らの助言で約1,650㎡(500坪)の整備工場と

約1,320㎡(400坪)の格納庫5棟が1924(大正13)年に飛行場の中央に完成した。

 

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3-3 イセキ農機(旧中央格納庫群):1932(昭和7)年の記録では、第1格納庫には、三式陸上練習機14機、第2・3・4格納庫にはそれぞれ十式艦上偵察機14機、第5格納庫には、一三式艦上攻撃機4機、三式陸上練習機8機を収容していた。

 

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3-4 イセキ農機(旧中央格納庫群):整備工場は各格納庫の真中に配置し、発動機修理・金属加工などの作業をしており、飛行機の中修理程度の工作設備を持っていた。

 

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3-5 イセキ農機(旧中央格納庫群):建物は鉄骨煉瓦造の平屋で、煉瓦は壁部のみ使用で1枚積み、煉瓦は深谷の日本煉瓦製造株式会社製(上敷免製造)。

 

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4-1 反町閘門:1900(明治33)年竣工、煉瓦造三連アーチ式の閘門。

 

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4-2 反町閘門:利根川から飯沼新田への逆流防止のための閘門。坂東市大崎の茨城県自然博物館の敷地内に1994(平成6)年に復元された。

 

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4-3 反町閘門:建設にかかわる記録が残されており、発注者の煉瓦見積枚数362,500枚

受注者の煉瓦見積枚数362,500枚。煉瓦積の職人の日当・手伝人の日当など業種別比較などの資料が残されている。

 

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4-4  反町閘門:裏側中央部 開閉扉は一方弁の役目、逆流防止が目的。手前が上流。

 

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4-5 反町閘門:裏側左部分。 

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5-1 大津港駅前煉瓦倉庫:夏の頃、左側の袖の部屋で観光案内とお土産を販売していた。

 

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5-2 大津港駅前煉瓦倉庫 煉瓦造としては意匠が良く、名のある技師が設計したものと見られる。

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5-3 大津港駅前煉瓦倉庫 建物は三区画に別けられている。中央部の窓には鉄格子が付いており貴重品か重要書類を保管していたと見られる。

 

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5-4 大津港駅前煉瓦倉庫 夏季の頃、観光案内所になっていた。

 

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5-5 大津港駅前煉瓦倉庫 中央部の2階部分には鉄格子があり、貴重品か重要書類が納められていたのか。

 

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5-6 大津港駅前煉瓦倉庫:右側部分の妻面、煉瓦の積み方に特徴がある。

 

以上、今回は1位~5位までを多数の写真付きで紹介した。次回は写真の枚数を減らして、赤煉瓦建築物を多く紹介したい。(Y.S)