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◎日本赤煉瓦建造物番付 埼玉県場所 令和二年一月
《ベスト30》のうち1~10位
《順位》 《所在地》 《 名 称 》
横綱・・・・1.(深谷市)日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設
ホフマン輪窯六号窯・変電室・旧事務所・備前渠鉄橋
大関・・・・3.(県内各地)煉瓦造樋管・堰群
小結・・・・5.(入間市他)西武鉄道旧入間川橋梁と煉瓦造橋梁群
前頭・・・・6.(本庄市)旧本庄商業銀行倉庫
前頭・・・・7.(川口市)旧田中家住宅洋館・煉瓦塀
前頭・・・・8.(熊谷市)日本聖公会熊谷聖パウロ教会礼拝堂・門
前頭・・・・10.(秩父市)旧武毛銀行本店
1-1(1) 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設(深谷市上敷面字中島28番地2他)
「ホフマン輪窯六号窯」(1997年5月29日 国定重要文化財に指定)の内部・・・・ドイツ人窯業技術者フリードリッヒ・ホフマン考案の大量生産用煉瓦焼成窯である。本窯は1907(明治40)年頃に建造され、1968(昭和43)年までの約60年間生産を続けた。全長56.5m、幅20m、高さ3.3mの総煉瓦構造である。内部には18の焼成室があり、各室に煉瓦の搬出入口、燃料の石炭投入口、排煙口が設置されている。この焼成室を窯火が巡りながら常時煉瓦を焼成することにより、月産65万個の煉瓦生産高を実現していた。(説明板:参照)
1-1(2) 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 「ホフマン輪窯六号窯」(国指定重要文化財)の現況・・・・大天幕を展張し六号窯を改修中。創業当時、窯は地上3階の木造上屋に覆われ、2階は燃料投入室、3階は煉瓦乾燥室とされた。煙突も当初煉瓦構造だったが関東大震災により倒壊、現在の鉄筋コンクリート構造になった。今回の改修で3階の煉瓦乾燥室を再建するかどうか未確認である。
1-2.日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設「旧変電室」(1997年5月29日 国指定重要文化財に指定)・・・・日露戦争後の好景気による建築・土木事業の拡大がもたらした煉瓦需要の増加に応対するため、会社は設備投資の一環として電力の導入を開始した。諸産業への電力利用の普及もあり、従来より使用していた蒸気式原動機の電動機への転換に踏み切ったのである。1906(明治39)年8月、高崎水力電気株式会社と契約を締結、電灯線を架設し、電動機を導入した。当時の深谷町に電灯が導入される1年前のことである。この建物だけが建造当時の外観をとどめている貴重な建物である。(説明板:参照)
1-3.日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 「旧事務所」(1997年5月29日 国指定重要文化財に指定)・・・・日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量供給する民営工場として、渋沢栄一らが中心となって設立された。政府に招かれていた建築技師ウイルヘルム・ベックマン、チーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され、良質の原土を産出し、水運による東京への製品輸送が可能な現深谷市上敷免に決定された。建物は1888(明治21)年頃の建設で、煉瓦製造技術の指導に当たったチーゼ技師が住所兼事務所として使用し、娘クララと共に1889(明治22)年12月に帰国するまで生活した。その後は会社事務所として使用された。建物全周の基礎には煉瓦が用いられている。(説明板:参照)
1-4.日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設「備前渠鉄橋」(1997年5月29日 国指定重要文化財に指定)・・・・操業当初からの輸送手段であった利根川舟運は安定した輸送力に欠け、燃料や製品の輸送に度々問題が発生した。これを解決するため建設されたのが鉄道専用線であり、1895(明治28)年、深谷駅との間で日本初の民間専用線として運用を開始した。専用線には4ヶ所の鉄橋があり、すべてに「ポーナル製プレート・ガーター橋」が採用された。本鉄橋は4ヶ所のうち、一番長い15.7mの橋桁が用いられている。橋台は両岸とも日本煉瓦製造株式会社の赤煉瓦が使用された。(説明板:参照)
1-2(1).誠之堂(深谷市起会字唐言110番3)・・・・「誠之堂」(2003年5月30日 国指定重要文化財に指定)・・・・誠之堂は渋沢栄一の喜寿を祝い、第一銀行の運動場及び保養施設の清和園に建設された記念堂である。1916(大正5)年3月に起工、同年11月12日に竣工開館した。設計は清水組技師長の田辺淳吉である。1998(平成10)年から1999年にかけて、大ばらし解体のうえ、現在地に移築復原された。
煉瓦造、平屋建、屋根は天然スレート葺き、建築面積113.30㎡。平面はヴェランダ付きの大広間を中心として、次の間、化粧所、玄関などの構成になる。誠之堂は、外観の基調を英国の田園趣味に基づいたものとし、多彩な煉瓦積技法と自在な意匠とにより、端整かつ雅趣ある建築作品に仕上がっている。
大正期の名建築デザイナーとされる田辺淳吉の代表作のひとつであり、大正建築の特質の一面である美術工芸運動的傾向を代表する作品として、重要である。(文化庁データーベース参照)
1-2 (2).「誠之堂」(国指定重要文化財)・・・・暖炉の背後に接する北側外部壁面には、煉瓦による朝鮮風の装飾積みで「喜寿」の文字を表わしている。また、外壁にはあえて色ムラのある煉瓦を使用しリズミカルに配置することで、装飾性と変化を与えている。フランス積み。使用している煉瓦は日本煉瓦製造株式会社で焼かれたものであることが確認されている。(パンフレット参照)
3-1. 煉瓦造樋管・堰群(県内各地)・・・・(通称)めがね橋「倉松落大口逆除」(くらまつおとしおおぐちさかよけ)(春日部市八町目地先)・・・・埼玉県内に数多い煉瓦造の樋管・堰の中で最古級であり、現存する樋管の中で最大級で、かつ4連はこれだけである。竣工は1891(明治24)年。現在は市道橋である。写真の正面が南側で、アーチ型の4連の煉瓦造の樋管で水面に円形が並んで眼鏡のように見えることから、この呼称がある。
この煉瓦造の樋管は、「倉松落大口逆除」が建設時の名称である。同樋管の前身である倉松落の門樋は1890(明治23)年8月の洪水で破壊された。このため1891(明治24)年3月に強固な煉瓦造の4連の樋管が完成した。本樋管の役割は排水先である大落古利根川の高水が、倉松落に逆流するのを防止するためである。(土木学会HP参照)
3-2. 煉瓦造樋管・堰群(県内各地)・・・・「五笊田堰」(ござるたぜき)(久喜市北中曽根)・・・・この堰は備前堀川の中流部に設けられた農業用水の取水堰。清久工業団地の西端、NHKラジオ放送局と県道12号線の中間に位置する。五笊田堰は煉瓦造の堰としては埼玉県内で最大規模である。1908(明治41)年12月1日起工し、翌1909(明治42)年3月20日竣工している。総工費は7,030円、建設資材は地元負担、建設は県の直括工事。基礎杭は松丸太(長さ3間:5.5m、直径6寸:18cm)667本を打ち込み、杭頭の周囲に木材で枠を組み、中に砂利や栗石を敷詰めた後に突き固めて、その上に捨コンクリートを打設した。その後、使用煉瓦数は約48,000個(表積み16,000個、裏積み32,000)、イギリス積みで堰を造ったという記録が残っている。(埼玉県の煉瓦水門 HP参照)
3-3(1). 煉瓦造樋管・堰群(県内各地)・・・・「千貫樋」(せんがんぴ)(さいたま市桜区五関地内)・・・・1904(明治37)年6月竣工。煉瓦造の2連の樋管、面壁・翼壁の荷重を支持するため、基礎杭として生松丸太(長さ3間:5.5m、直径6寸:18cm)を158本打ち込み、その上に6寸(18cm)角の生松木を平面に縦横に組み土台にしている。生松材の土台にコンクリートが打設され、その上が樋管本体等の煉瓦積みとなる。
埼玉県内には明治・大正期に建設された煉瓦造樋管が39基現存し、そのうち頂部がアーチ状の樋管は21基現存し、4連樋管が1基(めがね橋)で、2連樋管は2基でその一つが「千貫樋」である。残る18基は単樋管である。(土木学会関東支部HP参照)
3-3(2). 「千貫樋」(せんがんぴ)のアーチ部・・・天井部分は煉瓦の長手積み、入口のアーチリングは4巻。側壁はイギリス積み。1987(昭和62)年浦和市(現:さいたま市)は千貫樋周辺を整備し、「千貫樋水郷公園」にして下流から見て右側の樋管を遊歩道(通路の幅は2,4m、高さ1.8m、長さ14.3m)にして人の通行を可能にした。(土木学会関東支部HP参照)
3-4.煉瓦造樋管・堰群(県内各地)・・・・「甚左衛門堰」(じんざえもんせき)(草加市神明2-145-1他)・・・・ 札場河岸公園内にある甚左衛門堰は、かって付近に広がっていた水田の用水量を調整するため、綾瀬川と伝右川の間に設けられた。野口甚左衛門により造られたので、甚左衛門堰という名で呼ばれている。1890(明治23)年の大洪水の後、県に改築のための補助を求め、その3年後に補助金が交付され、1894(明治27)年に3ヶ月かけて現在の煉瓦造りの甚左衛門堰が完成した。1983(昭和58)年まで、約90年間にわたり使用された。
甚左衛門堰には、横黒煉瓦が32,500個使用され、「オランダ積」あるいは「イギリス積」と呼ばれる技法で積まれている。甚左衛門堰は古いタイプの横黒煉瓦を使用していますが、建設年代から見てもこの種の煉瓦を使った最後期を代表する遺構です。また、デザインが美しいだけでなく、保存状態も極めて良く、農業土木技術史・窯業技術史上、貴重な建造物です。(草加市HP参照)
4(1).秩父鉄道荒川橋梁(左岸:秩父群長瀞町長瀞、右岸:皆野町下田野)・・・・秩父鉄道の上長瀞駅と親鼻駅の間、上長瀞駅から徒歩約8分で荒川の左岸に着く。橋梁の形式は「ポーナル型プレートガーター橋」10連、全長約176m、煉瓦造橋脚・橋台。1914(大正3)年竣工。通称「親鼻鉄橋」。親鼻駅と上長瀞駅は荒川橋梁の竣工と同時の開業だが、当時、上長瀞駅は国神駅と称し、1928(昭和3)年に上長瀞駅へ改名した。(鉄道橋HP参照)
4(2).秩父鉄道荒川橋梁・・・・橋脚の高さは約20m。非常に高い橋脚が特徴である。荒川を横断するため、10連の橋桁と9基の橋脚が造られた。流水部分の6基の橋脚は煉瓦造の4段積みであった。すべての橋脚の最上段も煉瓦造であったが、その後の改修工事で最上段はコンクリートで補強され長方形になっている。橋脚の断面は舟形の楕円形で前後と側面の中央部分には石材が使用されている。両岸にある橋台も煉瓦造で、イギリス積みである。
5(1). 西武鉄道旧入間川橋梁(入間市野田)・・・・西武鉄道池袋線の元加治駅と仏子駅の間に残る旧路線の鉄橋。竣工は1915(大正4)年。この地方は材木・木炭・砂利・織物などの商売が盛んであり、鉄道建設の機運が盛り上がっており、地元の資本家が出資して建設した鉄道が武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)であった。
形式は上路プレートガーター橋の6連、長さ約100m、5基の橋脚は2段重ねの煉瓦造、下部の断面は尖頭形で、上流側に石造の水切り形の尖頭隅石が積まれ、下流側は角部に隅石がある。下から2段目の煉瓦積みは長方形で、1段目と2段目の中間には石材を挟んでいる。(「元加治駅~仏子駅間の廃鉄橋」HP参照)
5(2).西武鉄道旧入間川橋梁・・・・入間川の左岸は河岸段丘で高く、右岸は盛り土の堤防であり、煉瓦造橋台の建設は困難であったと見られる。橋台の周りの側面は、河川の丸石をコンクリトに埋め込んで築いており、地元有志の発案した鉄道建設であったことをうかがわせる工事と見られる。写真は左岸の高い河岸段丘に造られた煉瓦造橋台。橋台の周りには入間川から採取した自然石の丸石をコンクリトで固めた側壁である。橋桁の高さも低く、人や荷車程度が通行できれば良いという時代だったようである。
6(1).旧本庄商業銀行倉庫(本庄市銀座1-5-16)・・・・1997年6月12日、登録有形文化財(建造物)に登録。数年前までは「ローヤル洋菓子店」であったが、最近本庄市が購入し市が管理することになった。1894(明治27)年頃の竣工。煉瓦造2階建、瓦葺、建築面積279㎡。約31m×8.5mの内法の長方形平面の煉瓦造倉庫である。当時高価であった繭や生糸を担保として貯蔵するため、左右対称の位置に設けられた窓に、戸棚と鉄扉を設け、通風と防火に配慮している。現在では菓子店の店舗兼工場として活用され、広く親しまれている。(文化庁データベース参照)
6(2).旧本庄商業銀行倉庫・・・・倉庫裏側から撮影、駐車場を設け、奥の別棟にトイレを新設し観光客を誘致するように配慮している。
7(1).旧田中家住宅洋館(川口市末広1-7-2)・・・・2006年3月27日、登録有形文化財(建造物)に登録。1921(大正10)年竣工。煉瓦造3階建、瓦葺、建築面積186㎡。佐立七次郎の下で西洋建築を習得した櫻井忍夫が設計。煉瓦造3階建で、北側に蔵、南側に台所棟を配する。外部は暗紫色の化粧煉瓦と石材等で仕上げ、柱頭等を銅板装飾で飾る。内部は玄関帳場や2階座敷以外を洋風意匠でまとめる。大正期の本格的洋風住宅の好事例。(文化庁データーベース参照)
7(2). 旧田中家住宅洋館・・・・正面本館の右側に2階建の煉瓦造蔵が建つ。すべて「焼き過ぎ煉瓦」(写真)を使用している。覆輪目地のイギリス積み。
7(3).旧田中家住宅煉瓦塀・・・・2006年3月27日 登録有形文化財(建造物)に登録。1921(大正10)年頃に竣工。煉瓦塀 煉瓦造延長52m。敷地西辺中央を鉄柵とし、北方、南方及び敷地南辺を煉瓦塀とし、鉄柵中央に鉄門を開く。北方煉瓦塀の2ヶ所、南方に1ヶ所の通用門を開き、北方の鉄門寄りの通用門にはアーチを架ける。洋館と同時期で、国道沿いの景観を整える。(文化庁データーベース参照)
8(1).日本聖公会熊谷聖パウロ教会礼拝堂(熊谷市宮町1-139)・・・・2005年11月10日、登録有形文化財(建造物)に登録。1919(大正8)年竣工、煉瓦造平屋建、瓦葺、建築面積141㎡。焼き過ぎ煉瓦を効率的に用いた煉瓦造教会。イギリス積み。桁行約16m、梁行約7m規模の単廊式会堂で、東面北端に鐘塔を建ち上げ下部を玄関ポーチとし、外壁要所に尖塔アーチ窓とバットレスを配す。内部は煉瓦壁を顕わにし、木造シザーストラスを架ける。設計はW.ウィルソン。(文化庁データーベース参照)
8(2). 日本聖公会熊谷聖パウロ教会門・・・・2005年11月10日、登録有形文化財(建造物)に登録。1919(大正8)年竣工、煉瓦造、間口4.5m。鐘塔を兼ねた礼拝堂玄関ポーチに対応した位置に建つ。門の間口は内法で2.2m、東側に脇門を設ける。門柱は煉瓦造で、煉瓦長手2枚角、脇門柱は1枚半角とする。門柱根積部との境に柾立ての層を挟み、礼拝堂と合わせた積み方とするのが特徴。礼拝堂の門柱と表札。(文化庁データベース参照)
9(1). 日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂(川越市松江町2-4-13)・・・・2011年11月20日、登録有形文化財(建造物)に登録。1921(大正10)年竣工、煉瓦造平屋建、スレート葺、建築面積138㎡、塔屋付。立教大学新築のため来日したW.ウィルソンの設計により建設。東西に細長い切妻造・平屋建で、外壁煉瓦造、内側は挟み組み式の小屋組を見せ、尖塔アーチの縦長窓や控壁にゴシック様式細部を備える。T字路の突き当たりに建ち、際だった景観を構成している。(文化庁データーベース参照)
9(2). 日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂の石板の表札、キリスト教の煉瓦造教会の建築では煉瓦を縦積みで使用する例が多い。特に基礎部分には縦積みが見られる。
10. 旧武毛銀行本店(秩父市下吉田3871-1)・・・・ 1997年12月12日、登録有形文化財(建造物)に登録。1918(大正7)年竣工、煉瓦造2階建、瓦葺、建築面積148㎡。秩父から上毛地方の顧客を対象にした銀行の本店社屋として建築されたもの。正面及び側面の全面を白タイル貼りとし、寄棟造、瓦葺の屋根をかける。小規模な建物ながら全体的に質も高く、幾何学文様を主体とした意匠は、近代建築への移行を示す好例である。(文化庁データーベース参照)現在は、吉田町立歴史民俗資料館になっている。