産業遺産へGO! 過去のきらめきに触れたい

日本の近代化に寄与した産業遺産に関する話題

  ◎日本赤煉瓦建造物番付 埼玉県場所 令和二年一月

           《ベスト30》のうち21~30位

         勧進元東京産業考古学会 行司 八木司郎

    《順位》《所在地》 《 名 称 》

    前頭・・・・21.  (深谷市)常盤園の煉瓦倉庫

    前頭・・・・22. ( 大宮市)JR東日本大宮工場煉瓦倉庫

    前頭・・・・23. ( 深谷市)旧七つ桜酒造の煉瓦煙突・煉瓦蔵

    前頭・・・・24. ( 深谷市)小林商店の煉瓦倉庫

    前頭・・・・25. ( 深谷市)旧岡部農業協同組合

    前頭・・・・26. ( 川越市)山崎家の煉瓦造通用門・煉瓦塀

    前頭・・・・27. ( 深谷市)旧福島屋商店の煉瓦倉庫・煉瓦工場

    前頭・・・・28. ( 深谷市)石川医院裏の煉瓦蔵・煉瓦塀

    前頭・・・・29. ( 深谷市)水かけ地蔵尊の煉瓦塀

    前頭・・・・30. ( ふじみ野市)苗間神明神社の煉瓦造常夜灯

 

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 21. 常盤園の煉瓦倉庫(深谷市仲町1-5)・・・・明治10年代建設の倉庫で、明治時代末期から大正時代初期にかけて、土蔵の外壁に煉瓦を張り付けたもの、古い建物を当時の新しい材料である煉瓦でリフォームしたものであろう。元々土蔵であったことを思わせる特大の鬼瓦が注目される。軒下蛇腹は5段重ねで建物の重厚さを見せている。上部壁面は総て小口積みであるが、下部壁面は2級品の煉瓦をイギリス積にしている。恐らく隣の建物で隠れる部分であったと見られる。昭和6年、震災対策のため外側に鉄枠を設置したという。

 

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22. JR東日本大宮工場煉瓦倉庫(大宮市錦町630)・・・・大宮工場は1894(明治27)年12月10日に日本鉄道株式会社汽車課として発足した。1896(明治29)年に大宮工場と改められた。工場の建設は、木工所を除いてすべて赤煉瓦が建材として使用された。しかし、関東大震災で倒壊したり亀裂が入ったりした建物は解体されたが、1897(明治30)年に年燃料倉庫として建てられた煉瓦造の一棟(写真)だけが残った。

 

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23-1. 旧七つ桜酒造の煉瓦煙突(深谷市深谷町9-12)・・・・酒造業/田中藤左衛門商店の煉瓦造煙突(写真)。分類では「装飾蛇腹4角煉瓦煙突」であろう、頂部の蛇腹部に三角形の角が突出しているように煉瓦を積んだ部分と煉瓦を立に積んでいる部分が確認できる。

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23-2.  旧七つ桜酒造の煉瓦蔵(深谷市深谷町9-12)・・・・酒造業/田中藤左衛門商店の精米所として使用していた煉瓦蔵。現在は酒造業は廃業している。町おこしの有志が管理して、各種のイベントを開いている。古い映画を上映している映画館があったり、古本屋・古道具屋などもあった。

 

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 24. 小林商店の煉瓦倉庫(深谷市西島4丁目3-50)・・・・小林商店は1894(明治27)年創業の砂糖商。煉瓦倉庫の内部の棟木に「大正元年上棟(中略)煉瓦職萩原悠次郎」と墨で書かれているという。建てられた年代と職人の氏名が判る貴重な建物の一つである。

煉瓦造倉庫はすべて小口積である。右隣りの3階建の洋風の建物が小林商店の店舗と主屋である。当時は羽振りがいい砂糖商であったと見られる。

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25. 旧岡部農業協同組合深谷市岡部町普済寺1126-2)・・・・元岡部村役場、1915(大正4)年竣工。側面のガラス窓などは割れ、かなり傷んでいる。

 

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26. 山崎家の煉瓦造通用門・煉瓦塀(川越市仲町2-6)・・・・川越市内の商店街の中心地にある商家のアーチ形の通用門で良質の煉瓦を丁寧に積んである。右側奥に向かって高い煉瓦塀が連なっている。

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27. 旧福島屋商店の煉瓦倉庫・煉瓦工場(深谷市深谷町10-26)・・・・1921(大正10)年頃の建物で、元々コンニャクの原料倉庫兼製造工場であったという。右端の日本瓦の家が道路に面した店舗・主屋。次のガラス窓の建物の反対側は煉瓦造の壁になっており、屋根には小さな煙突が残っている。手前の煉瓦造の建物は、深谷市内では珍しい長手積である。建物の中心より左側に原料のコンニャク玉を搬入するための出入口がある。

 

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28. 石川医院裏の煉瓦蔵・煉瓦塀(深谷市西島4丁目)・・・・石川医院(耳鼻科)裏の奥に写真のような2階建の煉瓦蔵と煉瓦塀があった。小林商店から見える位置である。以前は建物で囲まれていたので発見できなかった。今回、手前が空地になり駐車場になっていたので見ることができた。二五分(1/4)の煉瓦を使用した「純粋のイギリス積」の建物である。

 

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29. 水かけ地蔵尊の煉瓦塀(深谷市深谷町12)・・・・水かけ地蔵尊大円寺)の外塀は、長さ40mぐらいの小口積の煉瓦塀がある。小口の面に「七五」と読める太い刻印が多数見られる。さらに㋑のように、直径10mmの 〇 のなかにカタカナが入っている刻印も多く見られた。これと同じ刻印が群馬県中之条町光山商事煉瓦造2連棟倉庫の腰部にも使用されていた。

 

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30. 苗間神明神社の煉瓦造常夜灯(ふじみ野市苗間372-1)・・・・苗間神明神社境内の社殿脇に煉瓦造常夜灯が建っている。この常夜灯は、旧大井村初代村長の神木三郎兵衛が献灯したと思われている。建立年は不明であるが、明治20年代中ごろの様式を持つ埼玉県内で最も古いタイプの煉瓦建造物といわれている。この種の灯明台は、①茨城県石岡市常陸国総社宮の煉瓦造高燈籠 ②愛媛県今治市波方町の玉生八幡神社の灯明台 ③苗間神明神社の常夜灯の三基が煉瓦造の灯明台として全国で確認されている。