◎セルロイドと林芙美子
◎セルロイドと林芙美子
セルロイドハウス横浜館に行った方のブログを拝読して、昨年、新宿区中井にある林芙美子記念館(林芙美子の旧宅)を訪ねた際、ボランティアガイドの方から聞いた若い頃の芙美子の苦労話を思い出しました。
芙美子は1903(明治36)年に行商人の両親の間に生まれ、家が貧しかったことから一家は住居を転々とし、芙美子は学校に行くこともままならず、様々な仕事に就いて生活費を稼ぎます。
彼女の『文学的自叙伝』を読めば、いかに多くの仕事をしてきたかが分かります。「只、働きたべるための月日をおくりました」と記しています。女中、株屋の事務員、雑貨の夜、毛糸店の売り子、代書屋、カフェー…。
(芙美子が描いた自画像)
その一つにセルロイド工場がありました。1924(大正13)年頃です。彼女は別の所に書いています。
「セルロイド玩具をつくる工場に、女工として通つてゐました。(中略)セルロイド工場では、私は朝も夜もキユーピーや蝶々の色づけをしました。(中略)私はキユーピーや蝶々に埋れて、始めて自分の人生をとりもどしたように、本を読んだり、散歩をしたりするようになりました」。
『放浪記』でブレークし、本格的な作家生活が始まるのはその6年後です。貧困生活からの脱出でした。
芙美子が亡くなって今年で68年になりますが、両親とともに放浪してきた九州の炭鉱、尾道の造船所、そしてセルロイド工場等まで、その足跡は日本の産業史と重なります。
セルロイドハウス横浜館訪問ブログに接し、林芙美子を懐かしく思い出した次第です。
(以上)