●日立に吹くアートの風


                                 新田次郎妹島和世

 

  世界的な女流建築家・妹島和世氏がデザインを監修した西武鉄道の新型特急がこの3月に運行を開始したとのニュースを聞くや、彼女の出身地である茨城県日立市に思いが飛び、このほど訪れてみました。日立製作所の源流の町です。
 旅の目的の一つは日立駅舎を見ることです。

 

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        (妹島和世氏がデザインを担当したJR日立駅舎)

 

 2011年に完成したJR日立駅舎も妹島氏がデザインを監修しました。駅に付属する長さ139メートルの自由通路はガラス張りで、海側に行けば太平洋を眼下に約120度展望できます。鉱山と重電の町、日立のイメージを一新する粋なデザイン。14年に鉄道の国際デザインコンペで「ブルネル賞」を受賞しました。


 日立市は、久原房之助が赤沢銅山を買収して日立鉱山として開業後、急速に発展した町です。日立鉱山の電気機械修理工場からスタートしたのが日立製作所です。
 妹島和世氏の父は日立製作所に勤務していたエンジニアでした。

      

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           (保存されている堅坑)

 日立駅からバスで山側へ約30分行った所にある「日鉱記念館」。日立鉱山跡地に建つ同記念館は1985(昭和60)年にオープンしました。現在のJX金属グループになるまでの歴史を紹介する本館のほか、2つの竪坑、かつてのコンプレッサー室を活用した鉱山資料館などがあります。

 鉱山町としてかなり栄えたはずなのに、少なくともバス通りからは、鉱山関連施設跡は不思議なくらい見当たりません。足尾や別子、小坂などは赤レンガ建造物などがあちらこちらに残っていますが、日立にはこれといったものがないのです。不思議です。


 最大の産業遺産はなんといっても、1914(大正3)年に建てられた大煙突です。完成時の高さ156メートルは当時、世界一でしたが、1993(平成5)年に突然、根元3分の1を残して倒壊しました。


 日立の産業遺産は他に、劇場として使われていた旧「共楽館」(大正6年築)ぐらいで、地元で生まれ育ったという同館の管理人は「このあたりに鉱山住宅が立ち並んでいたけど、もう何も残っていないよ」と。

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               (旧共楽館)

 駅の観光案内所でもらったパンフによると、鉱山電車跡やカラミ(銅鉱石を溶かした際に出るかす)跡などがあるようですが…。

 こうした中、目に付いたのは映画『ある町の高い煙突』のポスターです。同名の新田次郎の小説(昭和44年発表)を映画化し、この春に完成したばかりとのこと。6月から一般公開されるそうです。


 煙害対策として立てられた高い煙突は、新田次郎という著名な作家の作品で紹介されて全国的に知られ、町のシンボルとなったのです。

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               (映画のパンフ)

 

 水俣病をテーマにした石牟礼道子の『苦海浄土』、足尾鉱毒事件を扱った志賀直哉立松和平の文学作品もそうですが、公害の歴史を後生に伝える上で大きな力になるのは文学作品作で、そうした作品がないところは記憶から消えて行きます。


 文学も建築も広義のアートです。鉱山と重電の町・日立は、新田次郎妹島和世の2人によって改めて注目されているといえるでしょう。


 ちなみに妹島和世は2010年に建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞。父、妹島五彦は大阪大学工学部を卒業して日立製作所に入社、溶接学会フェローを受章するなどした優れたエンジニアでした。妹島和世のご両親は素晴らしい方だったようです。(敬称略)


 これについては改めて記します。             (続く:K.O)