●新紙幣の渋沢栄一、その旧邸見学へ
●新紙幣の渋沢栄一、その旧邸見学へ
十条跨線橋の保存運動に取り組んでいるわが「東京産業考古学会」は、同橋があるJR東十条駅の見学会を企画、3月23日に催しました。
同時に、王子駅の隣りにある飛鳥山公園内の「渋沢史料館」と「旧渋沢庭園」も見学しました。言うまでもなく、「日本資本主義の父」と称された渋沢栄一ゆかりの施設です。
新紙幣が2024年度に一新され、一万円札の肖像画に渋沢栄一が選ばれたこともあり、現地へ行きたくても行けない方のために、学芸員解説付き見学記をご報告します。
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各施設についての概要は、関連のホームページ(HP)等に詳しく記されていますので簡単にし、学芸員氏によるあまり知られていない話を中心に紹介したいと思います。(※聞き間違い等があればお詫びします)
●旧渋沢庭園の主な施設
<アクセス>
・所在地は、東京都北区西ヶ原2-16-1です。
・JR京浜東北線・王子駅南口から歩5分、東京メトロ南北線・西ヶ原駅から6分のところにあります。飛鳥山は桜の名所として江戸時代から知られ、花見シーズン中は、はとバスのコースにも組み入れられています。
渋沢栄一がかつて保有していた飛鳥山の土地は2万8千平方㍍(8,470坪)ありましたが、太平洋戦争中の空襲で多くの建物が消失したこともあり、現在は青淵文庫や晩香廬などがある旧渋沢庭園だけになっています。
▽青淵文庫
青淵文庫は、栄一の傘寿(80歳)と子爵昇格のお祝いを兼ねて1925(大正14)年に竜門社から贈呈された建物です。ステンドグラス、テラス、絨毯など随所に「壽(ことぶき)」の文字が目に付きます。
床の絨毯には、壽の文字とともに、蝙蝠が描かれていました。
蝙蝠の「蝠」は、旁(つくり)が「福」と同じなので、福を招く動物とされ、中国など東アジアでは吉祥文様としてよく使われています。
中華料理店で、「福」の文字を逆さにして掲げているところがありますが、「倒福」(とうふく)といい、天井などからぶら下がる蝙蝠のイメージにつながるのだそうです。
▽晩香盧 (※建物の内部は撮影禁止です)
喜寿(77歳)を祝って清水組(現・清水建設)から贈られた洋風茶室。賓客をもてなすため利用されました。
建物そのものが工芸品といっていいかと思います。「見れば見るほど随所にこだわりがある」とは学芸員氏の弁。
例えばシェード。薄く剥がした淡貝を使用しています。この他にも2カ所、「ステンドグラスの縁」と「壁」に貝を使い、独特の雰囲気を醸し出しています。壁に使った貝はアオガイ栄一のを砕いて塗り込めてあるそうです。
建物や調度品には、アーツ・アンド・クラフト運動(19世紀後半に英国で始まった美術工芸運動)の影響が見られます。
▽渋沢史料館
渋沢栄一(1840-1931)の生涯を紹介する資料が展示されています。
栄一は、約500の企業の設立・育成に関わり、約600の社会事業にタッチしました。事業に対する考えは、「金儲けは道徳的に正しいものでなくてはならない」というものでした。それは「道徳経済合一説」という考えで知られています。
栄一は不動産事業を嫌いました。土地の値上がりが生む利益は投機だからです。
栄一が亡くなって今年で88年になりますが、「今日でもしばしば雑誌等で栄一が紹介されるのは、その理念と行動に学ぶべき点が多いからでしょう」と学芸員氏。納得です。
(※撮影は禁止されているところがあります。ご注意ください)
以上、東京産業考古学会の見学会報告でした。
★当学会はどなたでも会員になれます。毎月開催している講演会、勉強会を一度覗いてみてください。
※東十条駅の跨線橋見学記は別の機会に改めて記します。以上です